#新品预定##漫画##BLUE LOCK#
BLUE LOCK漫画【16】
ブルーロック (16)
将于10月15日发售 现接受预定中!
如有兴趣可以前往【度鸦集市】&【ShiroKaraWorld】店内进行搜索 或者咨询店铺客服 蟹蟹
【内容简介】
2018年、W杯。日本代表は無残に散った。今大会もベスト16止まり…。アジアでは強豪? 組織力は世界レベル? そんなことは、もう聞き飽きた! 課題は、絶対的な「エースストライカー」の不在。悲願“W杯優勝”のために、ゴールに飢え、勝利に渇き、試合を一変させる革新的な“1人”を作るべく、日本フットボール連合は300人のユース年代の選手達を招集する。まだ無名の高校2年生・潔世一は、己のエゴを以って299人を蹴落とし、最強のエースストライカーの道を駆け上れるか!? 登場人物、全員“俺様”!
糸師 冴と、士道龍聖の『FLOW』を中心としたU-20日本代表の猛攻に、”青い監獄”は切り札・馬狼を投入。試合は策と計算を超えたその先の死闘へ──。双方が力を尽くす中、各個が『FLOW』を目指し、高みへ駆け上がる戦場はまさに日本サッカーの新次元! 次の時代の扉を、潔たちは蹴り破れるか!?
ストライカー続々覚醒!! 日本を担う選手は今こそ生まれる!!
BLUE LOCK漫画【16】
ブルーロック (16)
将于10月15日发售 现接受预定中!
如有兴趣可以前往【度鸦集市】&【ShiroKaraWorld】店内进行搜索 或者咨询店铺客服 蟹蟹
【内容简介】
2018年、W杯。日本代表は無残に散った。今大会もベスト16止まり…。アジアでは強豪? 組織力は世界レベル? そんなことは、もう聞き飽きた! 課題は、絶対的な「エースストライカー」の不在。悲願“W杯優勝”のために、ゴールに飢え、勝利に渇き、試合を一変させる革新的な“1人”を作るべく、日本フットボール連合は300人のユース年代の選手達を招集する。まだ無名の高校2年生・潔世一は、己のエゴを以って299人を蹴落とし、最強のエースストライカーの道を駆け上れるか!? 登場人物、全員“俺様”!
糸師 冴と、士道龍聖の『FLOW』を中心としたU-20日本代表の猛攻に、”青い監獄”は切り札・馬狼を投入。試合は策と計算を超えたその先の死闘へ──。双方が力を尽くす中、各個が『FLOW』を目指し、高みへ駆け上がる戦場はまさに日本サッカーの新次元! 次の時代の扉を、潔たちは蹴り破れるか!?
ストライカー続々覚醒!! 日本を担う選手は今こそ生まれる!!
市川大河的出渊裕老师长篇访谈,计划分15回刊出,今天第1回,附图为老师近照
出渕裕ロングインタビュー1 出渕裕とブチメカと富野由悠季とhttps://t.cn/A6MknjXU
――『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』(1982年)のころは、もう出渕さんはプロデビューされていたのですよね。
出渕 『最強ロボ ダイオージャ』(1981年)ぐらいまではセミプロの感覚でした。あのころ、富野さんが『伝説巨神イデオン』(1980年)(の劇場版)をやりながら『戦闘メカザブングル』をやっていたと思うんですけど、ただ『機動戦士ガンダム』(1979年)っていう作品そのものは、テレビでやる前から知っていたんですよ。『SFセントラルアート』(森田繁氏などによるSF同人誌)の人などから聞いていて。僕は安彦(良和)さんの絵が好きだったんです。『勇者ライディーン』(1975年)『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976年)のころから(安彦さんは)やってらっしゃいましたよね。あと『わんぱく大昔クムクム』(1975年)や『ろぼっ子ビートン』(1976年)なんかの、幅がある作品群をやっておられた。
――富野監督は安彦さんの絵に関しては「手塚治虫の延長線上にある」と言及されていましたね。
出渕 そうですね。柔らかい感じがありましたからね。エッジがきいているんじゃなくて、描かれる線が美しいという、本当にデザインセンスのある方だったんです。キャラクターもそうだったんですけど、衣装も、軍服みたいなものから、メカも描けるんですよねあの方。
――『ライディーン』『コン・バトラーV』などでは、ポピーから上がってくるメカデザインを、アニメ作画用に描き起こすクリンーンナップも担当されておられましたね。
出渕 そうなんですよ。村上(克司 当時のポピーの管理職にしてデザイナー。後のバンダイの専務取締役 存在感と功績から“村上天皇”の異名をもった)さんのやつ(元デザイン)をあんな格好よくさせて(笑) で、村上さんが「安彦はすごい! あいつにやらせろ!」と。それは当時、『宇宙戦艦ヤマト』(放映は1974年。劇場版は1977年)の西崎(義展 『ヤマト』シリーズのプロデューサー)さんも同じような感覚だったと思うんですけど、あの時は絵コンテだったんですが、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)の時に、ラスト近く、安彦さんに原画描かせて、それに湖川(友謙)さんが、総作監なのに手を加えちゃいかんって命令を(西崎氏に)言われて激怒して。それでも湖川さんは総作監なんで、鼻だけ修正いれたという(笑) でもその湖川さんがこのあいだの『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』(2018年)で、「俺にズォーダー(劇中のキャラ)を描かせてくれるんだったら、作画監督(の修正)を入れないという条件で」って、言ってることが違うじゃん、おっさん!(笑) って思うんですけどねぇ!(笑) 自分で(作監の時)怒ったわけじゃないですか。それなのに自分じゃそれ(他の作監に修正させない)を要求するって(笑) それもね。『さらば』の時は安彦さんが要求したんじゃなくって、西崎さんがそうしろって言ったわけでしょ。本人が言っちゃダメだよそんなの(爆)
――言っちゃダメですよね(笑)
出渕 まぁそういう感じで安彦さんが(『ガンダム』を)やるというのは聞いていたんですよ。ぬえ(スタジオぬえ)は松崎(健一 ぬえのスタッフ)さん以外は絡まないけれども、『宇宙の戦士』(Starship Troopers)的な、ハードなロボット物というかSF的な物をやるって聞いていて、安彦さんの新作は期待はありました。あと、富野(由悠季)さんがやるっていうのが大きかったですよね。『ライディーン』やって、あと『無敵超人ザンボット3』(1977年)『無敵鋼人ダイターン3』(1978年)をやってましたから。『ザンボット』は、富野さん的なリアリズムを突き詰めて、まぁ富野さん的には、ロボットを使った『海のトリトン』(1972年)のやり直しだと思うんですけど。ちょうどそのころ、当時『アニメック』っていう雑誌があったんですけれども、その準備校雑誌で『MANIFIC』というのがありまして。それらの編集長の小牧(雅伸)さんとは、SF同人で知り合いだったんですよ。だから「ブッちゃん(出渕氏の愛称)なにか書いて」って言われて、『MANIFIC』の創刊号で『ダイモス』のデザインのことについてなんか書いていた気がするんですけど、その時に小牧さんに「今度『ガンダム』っていうのがあるんだけど。これは絶対くるから! 『アニメック』はこれを推す!」って聞いて「えーそうなの?」って(笑) 「(小牧さんが)そうなんだよ! これをやるんだよ! あんたが!」って話をした覚えがあります(笑) そういう経緯があって、『ガンダム』がテレビ放映されて。素晴らしかったんですけれども……途中で安彦さん、倒れちゃったじゃないですか。
――はい、3クール目あたりから、入院されてしまいましたよね。
出渕 だから、その後は中村(一夫)さんとか青鉢(芳信)さんとか山崎(和男)さんとかが作監みたいな感じになって……やっぱり安彦さんが作監だから楽しみに観ていたってところがあるんですけれども、後半になってきて、視聴率も芳しくなく、モノ(関連商品)も売れなかったんで、放映期間が短縮されたわけですよね。それで終わって、当時の『(宇宙戦艦)ヤマト』(1974年)とか『ルパン三世』(放映は1971年)みたいに、再放送で火がついて、ガンプラも出て社会現象みたいになっていって、劇場版の三部作に至ったんですよね。普通だったら一本で総集編みたいなのやれって話になるんですけど、富野さんが全五部作でやるとか言い出して。あの頃は大作映画って結構あったんですよね。
――『人間の条件』(1959年)とかからですね。
出渕 そうですね。『戦争と人間』(1970年)とかもそうですね、「第何部」「ナントカ編」みたいな感じで。富野さんも映画は大変好きな方なんで、そういうの(大作映画)を自分で見せたいというのもあったと思うんですよ。で、それが『ガンダム』で現実化していった時に、一作目、二作目までは、安彦さんも(テレビ版の段階から)作監で手が入ってますからね。でも、僕らが待っていたのは『めぐりあい宇宙』だったんですよ。あの(テレビ版の)ボロボロの作画で、それはそれでよかったんですけど、それを、安彦さんが全部手を入れてやられるっていうんで、そういう期待度はあり、それに応える物ではあったと思うんですよね。ただ、最近出た、音響を入れなおしたDVD(2000年にバンダイビジュアルから発売された「特別版」)は、少し観て「あ、ダメだこれは」になりました(笑) 「観たらダメだ」と思って。これは自分の中の記憶を変に上書きしちゃうと思って、いやアレ(「特別版」)は観ないようにしようと思いました(笑) いや、新しくやられた方は頑張ってやってると思っているんですけれども、最初に入った物と比較してしまうと、どうしても人間それがベストになっちまうんで。『ヤマト』(の監督)をやる時も、それは自分自身の体験があるんで、絶対に思い出には勝てないと。みんな、一作目の『ヤマト』が刷り込まれているわけですから、それ以上に評価してくださる人もいるかもしれないけれども、基本的には、(旧作が)今の目で見た時にいくら作画がボロボロであろうとも、「それ」に勝つというのは非常に難しいというのが、まず認識としてありましたから。というのも、自分自身もそうですからね。
――常に、ご自身の原体験との勝負、みたいなところもあるんでしょうか?
出渕 そうですね。『ヤマト』の時は、どう再現して、どうブラッシュアップしていくかのさじ加減みたいなのはありましたけど。ただ、『めぐりあい宇宙』は、オリジナルテレビ版のスタッフが作っているわけじゃないですか。富野さんと安彦さんの両輪で。でも、僕等はテレビ版の方は、その片輪(安彦氏不在)の状態で最後の方を観てしまったわけだけども、そうすると観ているときに、その「片輪がいなくなっている状態」ってキツイわけですよ。まぁお話とかの出来はちゃんとしているんですけれども、だとすると、誰かが作って違う人がリメイクするというのではなくて、セルフで、自分達でやるっていうのを、重要なキーパーソンがいなかったのを、それを補填して見せてくれるっていう意味では、『めぐりあい宇宙』は素晴らしかったです。
――そういったリメイクの意味については、当時富野監督も、『アニメック』の小牧さんに語っておられましたね。「リメイク映画という、ビジネスとしては悪い例を残したかもしれないけれど」的な。
出渕 あの人はね、作った後にそういうことを言うんですよ(笑) 反省みたいなことをね、「今回はダメだった」みたいなことを。毎年「今回は、いつくるのかなぁ、その台詞」みたいな(笑)
――富野監督ってそもそもはコミュ障的に、インタビューとか、人前で話す時とかは苦手な方で、小牧さんの毎月のインタビューなどで鍛えられ、ポジショントークや、イベントでのキャラ付けなどを学んだのではないかと推測しているのですが。
出渕 多分ね、富野さんってね。どーでもいいことを聞いてくる人にはブチっときて、バーっとかましてね、「そんなもんどうでもいいの!」とか言っちゃうんですよね。ま、いいんですけど(笑) その、細かいところのディテールみたいなところ、実は富野さん、本当は気にするっていうか、気にして作ってるはずなんだけれども、気にして作っているものを、そこを「こうですよね」って言われると、またブチっとくるという(笑) ただまぁ、そういうことを調べてちゃんと聞いてくる人に対しては、そうはやりながらも「お、こいつけっこうやるじゃん」とか思うんですよ。まぁあと、当時はインタビュー慣れしていないというか、だいたいアニメの制作者に取材がくるなんてなかった時代ですから、そういう意味では、小牧さんが基準になっちゃったのかもしれないですよね。「小牧以上のことを聞いてくる」「小牧以下のことを聞いてくる」というのはあったと思うんですよ。それで、あと、あの人はまた、話してるうちに思いつくんですよね。「あの、それ、あれはこうだった!」みたいなね。そういう意味では大変感覚的な人なんで、ロジカルなところもあるんだけど、感覚的なところが、よく言えば優れてる、動物的なところがある。だから僕と話していても「あ、そうか! これはこういうことだったんだ!」っていうようなことを気付いて、それを(作品に)フィードバックされるような人ですよね。
――『ガンダム』放映期の一年間の、『アニメック』の小牧インタビューは面白かったです。
出渕 初期のころ、富野さんは「こんなことに答えるんじゃなく、作品が全てです! フィルムが全てです!」だったんですよ。それ正しいんですよ。ものすごく正しいんですよ。僕が氷川(竜介)さんと一緒に富野さんに初めて会った時も、すごい良いことを言ってたんです。「これ(作品)は観てもらって」って。それはもう基本だと思うんですけど、どうもインタビュー慣れして、世間の目が自分の方に来るとなるとね、えぇと、初心の良い部分を、忘れてませんか、お父さん?というね(笑) というのはあるわけですよ。「それはフィルムを観て? それをそんな風に感じられるなんておかしい!」なんてね、そこはちょっと残念なところありますよね。
出渕裕ロングインタビュー1 出渕裕とブチメカと富野由悠季とhttps://t.cn/A6MknjXU
――『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』(1982年)のころは、もう出渕さんはプロデビューされていたのですよね。
出渕 『最強ロボ ダイオージャ』(1981年)ぐらいまではセミプロの感覚でした。あのころ、富野さんが『伝説巨神イデオン』(1980年)(の劇場版)をやりながら『戦闘メカザブングル』をやっていたと思うんですけど、ただ『機動戦士ガンダム』(1979年)っていう作品そのものは、テレビでやる前から知っていたんですよ。『SFセントラルアート』(森田繁氏などによるSF同人誌)の人などから聞いていて。僕は安彦(良和)さんの絵が好きだったんです。『勇者ライディーン』(1975年)『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976年)のころから(安彦さんは)やってらっしゃいましたよね。あと『わんぱく大昔クムクム』(1975年)や『ろぼっ子ビートン』(1976年)なんかの、幅がある作品群をやっておられた。
――富野監督は安彦さんの絵に関しては「手塚治虫の延長線上にある」と言及されていましたね。
出渕 そうですね。柔らかい感じがありましたからね。エッジがきいているんじゃなくて、描かれる線が美しいという、本当にデザインセンスのある方だったんです。キャラクターもそうだったんですけど、衣装も、軍服みたいなものから、メカも描けるんですよねあの方。
――『ライディーン』『コン・バトラーV』などでは、ポピーから上がってくるメカデザインを、アニメ作画用に描き起こすクリンーンナップも担当されておられましたね。
出渕 そうなんですよ。村上(克司 当時のポピーの管理職にしてデザイナー。後のバンダイの専務取締役 存在感と功績から“村上天皇”の異名をもった)さんのやつ(元デザイン)をあんな格好よくさせて(笑) で、村上さんが「安彦はすごい! あいつにやらせろ!」と。それは当時、『宇宙戦艦ヤマト』(放映は1974年。劇場版は1977年)の西崎(義展 『ヤマト』シリーズのプロデューサー)さんも同じような感覚だったと思うんですけど、あの時は絵コンテだったんですが、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)の時に、ラスト近く、安彦さんに原画描かせて、それに湖川(友謙)さんが、総作監なのに手を加えちゃいかんって命令を(西崎氏に)言われて激怒して。それでも湖川さんは総作監なんで、鼻だけ修正いれたという(笑) でもその湖川さんがこのあいだの『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』(2018年)で、「俺にズォーダー(劇中のキャラ)を描かせてくれるんだったら、作画監督(の修正)を入れないという条件で」って、言ってることが違うじゃん、おっさん!(笑) って思うんですけどねぇ!(笑) 自分で(作監の時)怒ったわけじゃないですか。それなのに自分じゃそれ(他の作監に修正させない)を要求するって(笑) それもね。『さらば』の時は安彦さんが要求したんじゃなくって、西崎さんがそうしろって言ったわけでしょ。本人が言っちゃダメだよそんなの(爆)
――言っちゃダメですよね(笑)
出渕 まぁそういう感じで安彦さんが(『ガンダム』を)やるというのは聞いていたんですよ。ぬえ(スタジオぬえ)は松崎(健一 ぬえのスタッフ)さん以外は絡まないけれども、『宇宙の戦士』(Starship Troopers)的な、ハードなロボット物というかSF的な物をやるって聞いていて、安彦さんの新作は期待はありました。あと、富野(由悠季)さんがやるっていうのが大きかったですよね。『ライディーン』やって、あと『無敵超人ザンボット3』(1977年)『無敵鋼人ダイターン3』(1978年)をやってましたから。『ザンボット』は、富野さん的なリアリズムを突き詰めて、まぁ富野さん的には、ロボットを使った『海のトリトン』(1972年)のやり直しだと思うんですけど。ちょうどそのころ、当時『アニメック』っていう雑誌があったんですけれども、その準備校雑誌で『MANIFIC』というのがありまして。それらの編集長の小牧(雅伸)さんとは、SF同人で知り合いだったんですよ。だから「ブッちゃん(出渕氏の愛称)なにか書いて」って言われて、『MANIFIC』の創刊号で『ダイモス』のデザインのことについてなんか書いていた気がするんですけど、その時に小牧さんに「今度『ガンダム』っていうのがあるんだけど。これは絶対くるから! 『アニメック』はこれを推す!」って聞いて「えーそうなの?」って(笑) 「(小牧さんが)そうなんだよ! これをやるんだよ! あんたが!」って話をした覚えがあります(笑) そういう経緯があって、『ガンダム』がテレビ放映されて。素晴らしかったんですけれども……途中で安彦さん、倒れちゃったじゃないですか。
――はい、3クール目あたりから、入院されてしまいましたよね。
出渕 だから、その後は中村(一夫)さんとか青鉢(芳信)さんとか山崎(和男)さんとかが作監みたいな感じになって……やっぱり安彦さんが作監だから楽しみに観ていたってところがあるんですけれども、後半になってきて、視聴率も芳しくなく、モノ(関連商品)も売れなかったんで、放映期間が短縮されたわけですよね。それで終わって、当時の『(宇宙戦艦)ヤマト』(1974年)とか『ルパン三世』(放映は1971年)みたいに、再放送で火がついて、ガンプラも出て社会現象みたいになっていって、劇場版の三部作に至ったんですよね。普通だったら一本で総集編みたいなのやれって話になるんですけど、富野さんが全五部作でやるとか言い出して。あの頃は大作映画って結構あったんですよね。
――『人間の条件』(1959年)とかからですね。
出渕 そうですね。『戦争と人間』(1970年)とかもそうですね、「第何部」「ナントカ編」みたいな感じで。富野さんも映画は大変好きな方なんで、そういうの(大作映画)を自分で見せたいというのもあったと思うんですよ。で、それが『ガンダム』で現実化していった時に、一作目、二作目までは、安彦さんも(テレビ版の段階から)作監で手が入ってますからね。でも、僕らが待っていたのは『めぐりあい宇宙』だったんですよ。あの(テレビ版の)ボロボロの作画で、それはそれでよかったんですけど、それを、安彦さんが全部手を入れてやられるっていうんで、そういう期待度はあり、それに応える物ではあったと思うんですよね。ただ、最近出た、音響を入れなおしたDVD(2000年にバンダイビジュアルから発売された「特別版」)は、少し観て「あ、ダメだこれは」になりました(笑) 「観たらダメだ」と思って。これは自分の中の記憶を変に上書きしちゃうと思って、いやアレ(「特別版」)は観ないようにしようと思いました(笑) いや、新しくやられた方は頑張ってやってると思っているんですけれども、最初に入った物と比較してしまうと、どうしても人間それがベストになっちまうんで。『ヤマト』(の監督)をやる時も、それは自分自身の体験があるんで、絶対に思い出には勝てないと。みんな、一作目の『ヤマト』が刷り込まれているわけですから、それ以上に評価してくださる人もいるかもしれないけれども、基本的には、(旧作が)今の目で見た時にいくら作画がボロボロであろうとも、「それ」に勝つというのは非常に難しいというのが、まず認識としてありましたから。というのも、自分自身もそうですからね。
――常に、ご自身の原体験との勝負、みたいなところもあるんでしょうか?
出渕 そうですね。『ヤマト』の時は、どう再現して、どうブラッシュアップしていくかのさじ加減みたいなのはありましたけど。ただ、『めぐりあい宇宙』は、オリジナルテレビ版のスタッフが作っているわけじゃないですか。富野さんと安彦さんの両輪で。でも、僕等はテレビ版の方は、その片輪(安彦氏不在)の状態で最後の方を観てしまったわけだけども、そうすると観ているときに、その「片輪がいなくなっている状態」ってキツイわけですよ。まぁお話とかの出来はちゃんとしているんですけれども、だとすると、誰かが作って違う人がリメイクするというのではなくて、セルフで、自分達でやるっていうのを、重要なキーパーソンがいなかったのを、それを補填して見せてくれるっていう意味では、『めぐりあい宇宙』は素晴らしかったです。
――そういったリメイクの意味については、当時富野監督も、『アニメック』の小牧さんに語っておられましたね。「リメイク映画という、ビジネスとしては悪い例を残したかもしれないけれど」的な。
出渕 あの人はね、作った後にそういうことを言うんですよ(笑) 反省みたいなことをね、「今回はダメだった」みたいなことを。毎年「今回は、いつくるのかなぁ、その台詞」みたいな(笑)
――富野監督ってそもそもはコミュ障的に、インタビューとか、人前で話す時とかは苦手な方で、小牧さんの毎月のインタビューなどで鍛えられ、ポジショントークや、イベントでのキャラ付けなどを学んだのではないかと推測しているのですが。
出渕 多分ね、富野さんってね。どーでもいいことを聞いてくる人にはブチっときて、バーっとかましてね、「そんなもんどうでもいいの!」とか言っちゃうんですよね。ま、いいんですけど(笑) その、細かいところのディテールみたいなところ、実は富野さん、本当は気にするっていうか、気にして作ってるはずなんだけれども、気にして作っているものを、そこを「こうですよね」って言われると、またブチっとくるという(笑) ただまぁ、そういうことを調べてちゃんと聞いてくる人に対しては、そうはやりながらも「お、こいつけっこうやるじゃん」とか思うんですよ。まぁあと、当時はインタビュー慣れしていないというか、だいたいアニメの制作者に取材がくるなんてなかった時代ですから、そういう意味では、小牧さんが基準になっちゃったのかもしれないですよね。「小牧以上のことを聞いてくる」「小牧以下のことを聞いてくる」というのはあったと思うんですよ。それで、あと、あの人はまた、話してるうちに思いつくんですよね。「あの、それ、あれはこうだった!」みたいなね。そういう意味では大変感覚的な人なんで、ロジカルなところもあるんだけど、感覚的なところが、よく言えば優れてる、動物的なところがある。だから僕と話していても「あ、そうか! これはこういうことだったんだ!」っていうようなことを気付いて、それを(作品に)フィードバックされるような人ですよね。
――『ガンダム』放映期の一年間の、『アニメック』の小牧インタビューは面白かったです。
出渕 初期のころ、富野さんは「こんなことに答えるんじゃなく、作品が全てです! フィルムが全てです!」だったんですよ。それ正しいんですよ。ものすごく正しいんですよ。僕が氷川(竜介)さんと一緒に富野さんに初めて会った時も、すごい良いことを言ってたんです。「これ(作品)は観てもらって」って。それはもう基本だと思うんですけど、どうもインタビュー慣れして、世間の目が自分の方に来るとなるとね、えぇと、初心の良い部分を、忘れてませんか、お父さん?というね(笑) というのはあるわけですよ。「それはフィルムを観て? それをそんな風に感じられるなんておかしい!」なんてね、そこはちょっと残念なところありますよね。
#勇气信念决胜个站[超话]##beyooooonds[超话]#
【20210817里吉うたのameba博客搬运】
959*ジェラシージェラシー 里吉うたの
やあ
里吉うたのです
昨日もコメントやいいねをありがとうございます!
すべて読ませていただきました
本日は!
昨日放送された『ソロフェス!2』のお話
今年はモーニング娘。'17さんの
『ジェラシージェラシー』
をパフォーマンスさせていただきました!

本番の後で髪がぽけぽけしとる
収録してからはしばらく「頑張った!終わったぞ!」って感じだったけど、
昨日テレビの前で自分の番が近づくにつれて「あ゛ぁ〜」ってなってきた!
こんな心臓の音聞こえることある?!
『ジェラシージェラシー』には個人的にとても思い入れがあって!
今年のお正月の「STEP BY STEP」のツアーですごく久しぶりに生で聞いてちょっと泣きそうになったくらい、大好きな曲なんです!
歌詞が本当にすき。
昨年のソロフェスでは、アンジュルムさんがカバーした「魔女っ子メグちゃん」を歌いました!
もちろん「完璧」とは言えないけれど、自分的にはその後に繋がる1曲になったなと思います♀️
「自分」ってこんなキャラクターです!
こんな雰囲気を見せていきたいです!
っていうのが出せたかなって
なんかじわじわ「あの時のステージなんか良かったなぁ……」って思った(自分で思うな)
昨年のソロフェスがそんな風に私の中でまたひとつ「自分」を見つけられたステージになったので、
だからこそ今年は絶対に昨年よりさらに良いパフォーマンスを、
昨年までは見せていなかった「里吉うたの」を見せられるステージにしないといけないな……!!!!
と思って選曲し始めました。
なので!!!
今年はあえて「自分のイメージ」にハマりつつ、少し外れてみようかなと!!!
何を言っているんだい?♀️という感じかもですが、
「ジェラシージェラシー」は歌詞がまんま私っぽいな、というか私だぁ〜という歌詞なので、
そこは「私のイメージにハマっている」部分かな!と♀️たぶん
少し外れてみよう!の部分は、
「ラップ」と「普段とは違う雰囲気の振り付けも入れる」こと!
今回もイントロとアウトロにオリジナルの振り付けを作りました!
ワックをよく踊っているイメージかと思うのですが、
この15年くらいで、ストリートダンスは色々なジャンルを勉強させて頂いたのでまた違うジャンルをお見せしたいな!と思って振りつけました
(実はワックよりヒップホップやジャズの方が小さい頃から長〜く勉強しているのですストリートダンスの基礎!だしね!)
ワックの動きはあえてひとつも振り付けに入ってないよ〜!
そして
ラップはイメージ無かったんじゃないかと!思います!!!!!
多分だけど、
ソロでラップしたの、19年冬の初めて出たハロー!プロジェクトコンサートで「次々続々」を歌った時以来!
しかも「次々続々」も短いワンフレーズだけだったので、こんなに長くラップしたのは初めてです
かっこいい声じゃなくてもラップかましてやんよぉ!!!!!!!!!
の気持ちで頑張りました
モーニング娘。さんのパフォーマンスではかっこよさ50000%!って感じで、すごく憧れだったのですが、
私らしくラップをしたい!と思ってあえて可愛くセリフみたいにする箇所を作ったりしました♀️
ボイトレの時も先生にラップをすごく褒めて頂けて嬉しかった!!
挑戦してよかったな!と思ったし、本番もやってやるぞ!!!と気合いが入りました
この曲をやるにあたって、何度も何度も歌詞を読んでどんな主人公なのかなとか、色々想像を膨らませてたんだけど……。
「ジェラシージェラシー」の主人公、
「可愛い」とか「綺麗」とか「魅力的な自分」になるためにまっすぐで、
だからほかの素敵な人にジェラっちゃうし素直に褒めたりできなくて…
それでもやっぱりチヤホヤされたいし誰かの特別になりたいしって感じが
すごく可愛いしいいな!!って思って(なんか日本語バグっちゃったけどだいたいそんな感じってやつ)
サビとかラップは自分に対して、
悔しい気持ちもジェラっちゃう日も全部「私」だから、
今はそれ以上に一生懸命やろう!コンプレックスも武器に変えちゃうもんね!
って気持ちで歌いました
フェイクも頑張った!
今だけはチヤホヤしてほしいな…
リクエストではかわいい曲とかも含めてすごくすごくたくさん頂いていたので、
参考にしつつバースデーイベントのセットリストとか決めていこうかなって!!
元々自分で歌いたい!と思っていた曲がたくさんあるので、どのくらい反映できるかは分からないのですが、
皆さんがたくさんリクエストくださったのでそれもふまえて考えようと思います♀️
『ソロフェス2』
たくさんのリクエスト、
そして番組のご視聴ありがとうございました!
感想たくさん待ってますっ
「BEYOOOOONDS/SeasoningS 里吉うたの バースデーイベント2021」の開催が決定しました!!!!!!
9/24(金)
LANDMARK HALLにて行います!!!
★ファンクラブ会員限定イベント★「BEYOOOOONDS/SeasoningS 里吉うたのバースデーイベント2021」開催決定!|ハロー!プロジェクトオフィシャルファンクラブWebサイト「BEYOOOOONDS/SeasoningS 里吉うたのバースデーイベント2021」の開催が決定いたしました。小林萌花がMCを務めます。お楽しみに!【注意事項】※開催当日、会場内での感染予防対策にご協力をお願いいたします。詳しくはこちらにてご確認ください。※着席での鑑賞となります。立っての鑑賞はできません。※マスク着www.up-fc.jp
申込締切は8/27お昼12:00まで!
バースデーイベントも楽しんで頂けるステージを作れるようがんばろうーたんします
もっと綺麗になるし、可愛くなるし、
かっこよくて魅力的なパフォーマンスを目指します
ずっと見ててほしいな…
それでは!
明日も一日がんばろうーたん!です!
またね!
【20210817里吉うたのameba博客搬运】
959*ジェラシージェラシー 里吉うたの
やあ
里吉うたのです
昨日もコメントやいいねをありがとうございます!
すべて読ませていただきました
本日は!
昨日放送された『ソロフェス!2』のお話
今年はモーニング娘。'17さんの
『ジェラシージェラシー』
をパフォーマンスさせていただきました!

本番の後で髪がぽけぽけしとる
収録してからはしばらく「頑張った!終わったぞ!」って感じだったけど、
昨日テレビの前で自分の番が近づくにつれて「あ゛ぁ〜」ってなってきた!
こんな心臓の音聞こえることある?!
『ジェラシージェラシー』には個人的にとても思い入れがあって!
今年のお正月の「STEP BY STEP」のツアーですごく久しぶりに生で聞いてちょっと泣きそうになったくらい、大好きな曲なんです!
歌詞が本当にすき。
昨年のソロフェスでは、アンジュルムさんがカバーした「魔女っ子メグちゃん」を歌いました!
もちろん「完璧」とは言えないけれど、自分的にはその後に繋がる1曲になったなと思います♀️
「自分」ってこんなキャラクターです!
こんな雰囲気を見せていきたいです!
っていうのが出せたかなって
なんかじわじわ「あの時のステージなんか良かったなぁ……」って思った(自分で思うな)
昨年のソロフェスがそんな風に私の中でまたひとつ「自分」を見つけられたステージになったので、
だからこそ今年は絶対に昨年よりさらに良いパフォーマンスを、
昨年までは見せていなかった「里吉うたの」を見せられるステージにしないといけないな……!!!!
と思って選曲し始めました。
なので!!!
今年はあえて「自分のイメージ」にハマりつつ、少し外れてみようかなと!!!
何を言っているんだい?♀️という感じかもですが、
「ジェラシージェラシー」は歌詞がまんま私っぽいな、というか私だぁ〜という歌詞なので、
そこは「私のイメージにハマっている」部分かな!と♀️たぶん
少し外れてみよう!の部分は、
「ラップ」と「普段とは違う雰囲気の振り付けも入れる」こと!
今回もイントロとアウトロにオリジナルの振り付けを作りました!
ワックをよく踊っているイメージかと思うのですが、
この15年くらいで、ストリートダンスは色々なジャンルを勉強させて頂いたのでまた違うジャンルをお見せしたいな!と思って振りつけました
(実はワックよりヒップホップやジャズの方が小さい頃から長〜く勉強しているのですストリートダンスの基礎!だしね!)
ワックの動きはあえてひとつも振り付けに入ってないよ〜!
そして
ラップはイメージ無かったんじゃないかと!思います!!!!!
多分だけど、
ソロでラップしたの、19年冬の初めて出たハロー!プロジェクトコンサートで「次々続々」を歌った時以来!
しかも「次々続々」も短いワンフレーズだけだったので、こんなに長くラップしたのは初めてです
かっこいい声じゃなくてもラップかましてやんよぉ!!!!!!!!!
の気持ちで頑張りました
モーニング娘。さんのパフォーマンスではかっこよさ50000%!って感じで、すごく憧れだったのですが、
私らしくラップをしたい!と思ってあえて可愛くセリフみたいにする箇所を作ったりしました♀️
ボイトレの時も先生にラップをすごく褒めて頂けて嬉しかった!!
挑戦してよかったな!と思ったし、本番もやってやるぞ!!!と気合いが入りました
この曲をやるにあたって、何度も何度も歌詞を読んでどんな主人公なのかなとか、色々想像を膨らませてたんだけど……。
「ジェラシージェラシー」の主人公、
「可愛い」とか「綺麗」とか「魅力的な自分」になるためにまっすぐで、
だからほかの素敵な人にジェラっちゃうし素直に褒めたりできなくて…
それでもやっぱりチヤホヤされたいし誰かの特別になりたいしって感じが
すごく可愛いしいいな!!って思って(なんか日本語バグっちゃったけどだいたいそんな感じってやつ)
サビとかラップは自分に対して、
悔しい気持ちもジェラっちゃう日も全部「私」だから、
今はそれ以上に一生懸命やろう!コンプレックスも武器に変えちゃうもんね!
って気持ちで歌いました
フェイクも頑張った!
今だけはチヤホヤしてほしいな…
リクエストではかわいい曲とかも含めてすごくすごくたくさん頂いていたので、
参考にしつつバースデーイベントのセットリストとか決めていこうかなって!!
元々自分で歌いたい!と思っていた曲がたくさんあるので、どのくらい反映できるかは分からないのですが、
皆さんがたくさんリクエストくださったのでそれもふまえて考えようと思います♀️
『ソロフェス2』
たくさんのリクエスト、
そして番組のご視聴ありがとうございました!
感想たくさん待ってますっ
「BEYOOOOONDS/SeasoningS 里吉うたの バースデーイベント2021」の開催が決定しました!!!!!!
9/24(金)
LANDMARK HALLにて行います!!!
★ファンクラブ会員限定イベント★「BEYOOOOONDS/SeasoningS 里吉うたのバースデーイベント2021」開催決定!|ハロー!プロジェクトオフィシャルファンクラブWebサイト「BEYOOOOONDS/SeasoningS 里吉うたのバースデーイベント2021」の開催が決定いたしました。小林萌花がMCを務めます。お楽しみに!【注意事項】※開催当日、会場内での感染予防対策にご協力をお願いいたします。詳しくはこちらにてご確認ください。※着席での鑑賞となります。立っての鑑賞はできません。※マスク着www.up-fc.jp
申込締切は8/27お昼12:00まで!
バースデーイベントも楽しんで頂けるステージを作れるようがんばろうーたんします
もっと綺麗になるし、可愛くなるし、
かっこよくて魅力的なパフォーマンスを目指します
ずっと見ててほしいな…
それでは!
明日も一日がんばろうーたん!です!
またね!
✋热门推荐