昨天画了一张虎虎 配着他的印象曲いつかどこかで一起画的,边画边哭 所以认真的记录了一下自己的小心情还有放一些喜欢的歌词
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昨天晚上将悠仁的印象曲口ロロ(クチロロ)「いつかどこかで」认认真真的听了一次
记得很久很久之前第一次听到这首歌并没有听完 反而觉得这个开头好怪 便没有再认真听下去
前几天又认真的从头开始追本志 忽然的很想小虎 先是听了ed2的give it back后又去听了印象曲 那是我第一次为了一个二次元角色爆哭。
在ed2里面 虎虎拿著手机记录著大家、一起去海边的情景、在高专的日常…
和印象曲的
「旅をしてきた 色んな人に会った
俺のPCのフォルダ 开けば リメンバー
みんなに出会った 记録 たっぷりと
日々のこと 思い出 食べ物 憧れ
妄想~ つまり 色々~ 」
一路旅行至今 见到了许多人
我电脑的资料夹 一打开 就会记得
和大家相遇的 纪录 满满的
每天发生的事 回忆 美食 憧憬
妄想 也就有 各式各样~
我真的 哭到完全不能克制我自己,,,
接著最喜欢的地方是挂电话那段,弹幕说很像钉崎在和虎打电话…再重新看了本志后,对于野蔷薇的的喜欢也上升了好多好多 尤其是对虎说「也有像你这种自己搬椅子进来的傢伙」还有合战时「背后交给我」 真的真的,好舍不得野蔷薇。。
「私はすぐ切っちゃう派だから ちょっと 羡ましいシチュエーション 」
我是个马上挂掉电话的人,所以有点羡慕这种依依不舍的情况
真的很像很像钉崎会对虎说的话..
这一段是我最喜欢的一段 我听到这边的时候真的止不住我的泪
「一秒なんかあっという间 一生なんかあっという间」
「一秒好像一下就过了 一辈子好像一下就过了」
「おやすみ まだ名前のない 无数の想い
おやすみ またこんな夜に歌になる日まで」
晚安 仍没有名字的 无数想法
晚安 直到再次在这样的黑夜 化成歌曲之日来临
该怎么说呢,这首歌虽然是充满欢乐的气氛,但也因此更让人难过,或许这就是他所希望的「在众人的簇拥下死去」,有很多很多的人向他道晚安,就像是要向他道别一样。
我希望我还能够陪他继续长大、我想继续看他成长、我想看他快乐的样子、我想向他道晚安后还能再和他说早安。
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虽然现在大家都在祝贺五出猫箱了,忽然赶上好奇怪哦w不过也想到本志即将要结束(虽然我也希望这勾b漫画跟介人伤害虎不如快完结算了 但想到以后完结不能再见到虎还是莫名的难过惹[悲伤])
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昨天晚上将悠仁的印象曲口ロロ(クチロロ)「いつかどこかで」认认真真的听了一次
记得很久很久之前第一次听到这首歌并没有听完 反而觉得这个开头好怪 便没有再认真听下去
前几天又认真的从头开始追本志 忽然的很想小虎 先是听了ed2的give it back后又去听了印象曲 那是我第一次为了一个二次元角色爆哭。
在ed2里面 虎虎拿著手机记录著大家、一起去海边的情景、在高专的日常…
和印象曲的
「旅をしてきた 色んな人に会った
俺のPCのフォルダ 开けば リメンバー
みんなに出会った 记録 たっぷりと
日々のこと 思い出 食べ物 憧れ
妄想~ つまり 色々~ 」
一路旅行至今 见到了许多人
我电脑的资料夹 一打开 就会记得
和大家相遇的 纪录 满满的
每天发生的事 回忆 美食 憧憬
妄想 也就有 各式各样~
我真的 哭到完全不能克制我自己,,,
接著最喜欢的地方是挂电话那段,弹幕说很像钉崎在和虎打电话…再重新看了本志后,对于野蔷薇的的喜欢也上升了好多好多 尤其是对虎说「也有像你这种自己搬椅子进来的傢伙」还有合战时「背后交给我」 真的真的,好舍不得野蔷薇。。
「私はすぐ切っちゃう派だから ちょっと 羡ましいシチュエーション 」
我是个马上挂掉电话的人,所以有点羡慕这种依依不舍的情况
真的很像很像钉崎会对虎说的话..
这一段是我最喜欢的一段 我听到这边的时候真的止不住我的泪
「一秒なんかあっという间 一生なんかあっという间」
「一秒好像一下就过了 一辈子好像一下就过了」
「おやすみ まだ名前のない 无数の想い
おやすみ またこんな夜に歌になる日まで」
晚安 仍没有名字的 无数想法
晚安 直到再次在这样的黑夜 化成歌曲之日来临
该怎么说呢,这首歌虽然是充满欢乐的气氛,但也因此更让人难过,或许这就是他所希望的「在众人的簇拥下死去」,有很多很多的人向他道晚安,就像是要向他道别一样。
我希望我还能够陪他继续长大、我想继续看他成长、我想看他快乐的样子、我想向他道晚安后还能再和他说早安。
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虽然现在大家都在祝贺五出猫箱了,忽然赶上好奇怪哦w不过也想到本志即将要结束(虽然我也希望这勾b漫画跟介人伤害虎不如快完结算了 但想到以后完结不能再见到虎还是莫名的难过惹[悲伤])
#健康身体 健康地球 健康生活#
〔老いをみるまなざし〕
第55回 あなたは認知症ではない!!
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
73歳のSさんは優秀な技術者であった。65歳で会社を退職した後も財団の顧問として毎週東京の会議に出席していた。2歳下の妻と二人の生活を続けている。
気が向けば囲碁の集まりに出かけたし、私の出演した生涯教育講座に聴講に来た時もあった。
そんな活動的な生活が2年前から変わった。新型コロナの蔓延によって外出する機会がなくなってしまったからである。
子供が家を出てから二人だけの生活が続いていたが今回ほど二人が密接に暮らしたことはなかった。
妻は夫と四六時中一緒に暮らしてみると彼女が知っていた今までの夫とは別人のようにみえた。
朝から晩まで妻の顔色を窺っている。
こそこそと妻の前から逃げだそうと考えているくせに外へ出て行くことはない。
物忘れがひどくなった。ことに人の名前を思い出せない。総理大臣の名前も忘れていることが多い。
今日が何月何日だったかも知らない時がある。
そんな夫をみていて妻は「この人は認知症に違いない」と、思うようになった。
そして私の外来へ連れてきた。
以下は妻の陳述から私が想像した彼の日頃の生活である。
朝早くから目覚めて、家の中をごそごそと動き回る。
「これは認知症の症状の一つではないか?」と妻は言ったが、早朝覚醒は睡眠と覚醒のリズムがずれることによって生じる老化現象で誰にでも生じうる現象である。認知症によるものではない。
早朝に目が覚めて妻が作る朝食を何もせずに待っている。
朝食が過ぎると次の楽しみは昼食である。コロナの前は昼食の弁当をコンビニへ買いに行くことがたまにはあったが、この頃ではそれもしない。インスタントラーメンにお湯を注ぐことすらしない。
親鳥の餌を待っているひなのようである。
昼食が終わると夕食までうつらうつらとテレビをみて過す。
食べた後の後片付けをやったことはない。
炊飯器でお米を炊く事もできないし、掃除などやったことはない。洗濯は素人が新幹線の運転をしないと同じ程度の隔絶感である。
金縛りにあったように家事に手を出さないのである。
朝から晩まで小言を言っている妻とまともな会話をしなくなった。
たまに夫が発言しようとすると何倍にもなって言い返されるので、面倒になってしまったのだった。
妻が些細な事を執拗に問い詰めると突然大声を出して怒鳴り返す事が月に一度程度にあった。
妻はあきれてしまったが「認知症ならしょうがないか」と思い、それ以上は追求しないことにしていた。
妻は嫌がる夫を連れて私の外来に来たのである。
しかし認知症テストの一つであるMMSEをすると28点で、認知症ではなかった。
以下は私の感想である。
家事以外にすることがない老人夫婦にとって家事をやらない夫は肩身が狭い。
中には妻から認知症というレッテルを貼られたまま生活している人も出てくる。
そういう人にとっての解決策は簡単だ。夫が家事をやればいい。
掃除、洗濯、料理をすればいい。
世界中で女性が男性より長生きなのは女性が家事をするからだと、私は思っている。
日本の老人男性諸君、家事をしよう!!
そうすれば怯えて老後を過すことはない。
家事をしない人間は長生きができないのである。
図:老いをみるまなざし_第55回_あなたは認知症ではない挿絵
(イラスト:茶畑和也)
〔老いをみるまなざし〕
第55回 あなたは認知症ではない!!
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
73歳のSさんは優秀な技術者であった。65歳で会社を退職した後も財団の顧問として毎週東京の会議に出席していた。2歳下の妻と二人の生活を続けている。
気が向けば囲碁の集まりに出かけたし、私の出演した生涯教育講座に聴講に来た時もあった。
そんな活動的な生活が2年前から変わった。新型コロナの蔓延によって外出する機会がなくなってしまったからである。
子供が家を出てから二人だけの生活が続いていたが今回ほど二人が密接に暮らしたことはなかった。
妻は夫と四六時中一緒に暮らしてみると彼女が知っていた今までの夫とは別人のようにみえた。
朝から晩まで妻の顔色を窺っている。
こそこそと妻の前から逃げだそうと考えているくせに外へ出て行くことはない。
物忘れがひどくなった。ことに人の名前を思い出せない。総理大臣の名前も忘れていることが多い。
今日が何月何日だったかも知らない時がある。
そんな夫をみていて妻は「この人は認知症に違いない」と、思うようになった。
そして私の外来へ連れてきた。
以下は妻の陳述から私が想像した彼の日頃の生活である。
朝早くから目覚めて、家の中をごそごそと動き回る。
「これは認知症の症状の一つではないか?」と妻は言ったが、早朝覚醒は睡眠と覚醒のリズムがずれることによって生じる老化現象で誰にでも生じうる現象である。認知症によるものではない。
早朝に目が覚めて妻が作る朝食を何もせずに待っている。
朝食が過ぎると次の楽しみは昼食である。コロナの前は昼食の弁当をコンビニへ買いに行くことがたまにはあったが、この頃ではそれもしない。インスタントラーメンにお湯を注ぐことすらしない。
親鳥の餌を待っているひなのようである。
昼食が終わると夕食までうつらうつらとテレビをみて過す。
食べた後の後片付けをやったことはない。
炊飯器でお米を炊く事もできないし、掃除などやったことはない。洗濯は素人が新幹線の運転をしないと同じ程度の隔絶感である。
金縛りにあったように家事に手を出さないのである。
朝から晩まで小言を言っている妻とまともな会話をしなくなった。
たまに夫が発言しようとすると何倍にもなって言い返されるので、面倒になってしまったのだった。
妻が些細な事を執拗に問い詰めると突然大声を出して怒鳴り返す事が月に一度程度にあった。
妻はあきれてしまったが「認知症ならしょうがないか」と思い、それ以上は追求しないことにしていた。
妻は嫌がる夫を連れて私の外来に来たのである。
しかし認知症テストの一つであるMMSEをすると28点で、認知症ではなかった。
以下は私の感想である。
家事以外にすることがない老人夫婦にとって家事をやらない夫は肩身が狭い。
中には妻から認知症というレッテルを貼られたまま生活している人も出てくる。
そういう人にとっての解決策は簡単だ。夫が家事をやればいい。
掃除、洗濯、料理をすればいい。
世界中で女性が男性より長生きなのは女性が家事をするからだと、私は思っている。
日本の老人男性諸君、家事をしよう!!
そうすれば怯えて老後を過すことはない。
家事をしない人間は長生きができないのである。
図:老いをみるまなざし_第55回_あなたは認知症ではない挿絵
(イラスト:茶畑和也)
小田倉麗奈「私は人が笑うのを見るのが大好きで、たまに三期生の前でも変顔をやります。でもまさか地上波で自分の変顔が流れる日がくるなんて思いもしませんでした。ちょっとだけ恥ずかしいです笑 収録中は、藤吉さんが笑ってくださった…!と嬉しくてずっとニコニコしていました。ありがとうございます。実は一緒に写真を撮ってくださいました……!」
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