men’s nonno web 连载
中田撮 第6回 井上 翔太
第6回のゲストは後輩の井上翔太。撮影は、井上が通っていた文化服装学院がある新宿西口エリアで。ファッションの趣味が合う二人は元から仲良しだったけど、「中田撮」初となるほろ酔いトークでは、知られざる翔太の“アツさ”に中田も驚き!21歳の等身大を生きる彼の、ナウな魅力を激写した。
「とにかく早く 東京に出て来たかった」
中田 何年目だっけ?今。
井上 3年目です。メンズノンノモデルになる前に、今の事務所には入っていて。きっかけはスカウトだったんですけど。
中田 そうなんだ!知らなかった。
井上 もともと俳優になりたいという思いはあったんですが、それを高校の三者面談で言ったら、「まだ何も決まってないからとりあえず学校に行って欲しい」と親に言われて。それで服が好きだったので文化服装学院に進みました。とにかくすぐにでも東京に行きたくて、学校が始まる前の3月に上京。表参道で歩いていたら声をかけてもらって、これはもうやるしかないなと。
中田 けっこう思い切った選択したね!最近の仕事はどう?
井上 今はとにかく俳優の仕事を頑張っていきたいです。なんか今年は調子がいい気がしてます。感覚ですけど。自分が日常で考えていること、経験したことを、役としてアウトプットしていくのが楽しいですね。
「マジな熱量がある人って カッコいいと思うんです」
中田 俺と翔太はフィーリングが似てるよね。何をカッコいいと思うかとか。
井上 そうですね。映画なんか観てると、スケーターとか、不良とかマフィアとか、反骨精神を持っている人をカッコいいと思っちゃうところとか。
中田 わかる。でもさ、俺らって根は真面目じゃん?(笑) だから不良にはなりきれなくて、でも彼らが持ってるカルチャーや、好きなものに対するマジの熱量をすごくカッコいいと思うよね。
井上 それでありながら、自分自身の人生としてはもっとおしゃれに生きたいんですよね。
中田 そう。本物の不良からしたら俺らは中途半端なやつなのかもしれないけど、そこに俺らなりの美学があるよね。彼らの文化をファッションや自分の表現に取り入れながら、モデルや俳優の仕事を頑張るっていう。
井上 自分の仕事に関しては俺らも真剣に向き合ってますもん。マジさは同じ。
「メラメラしすぎて 眠れへんのです」
井上 最近、仕事に対する熱量が高まりすぎて常にメラメラしてるんです。興奮しちゃって、夜も眠れない。
中田 いいね、それが今の翔太なんだよ。 井上 今の環境にはすごく感謝してるんです。俳優の仕事ができて、メンズノンノにも出させてもらって、事務所も応援してくれてる。そうやって生きているから幸せだけど、満足はしてない。だからもっと、ぶちかましていきたいと思ってるっす。
中田 自分の今のマックスを出せたら、どんな経験でも最高だよ。
井上 あとは本当に自分次第だと思ってます。口では何とでも言えるけど、どう行動するか。今年はちゃんと、結果を出していきたいです。
「魂で生きなアカンって思ってるんで!」
井上 ちょっと自分は尖り過ぎてるんですかね…。自分のカッコ悪い部分を人に知られるのがすごく嫌で、でもそれを気にし過ぎているのが逆にカッコ悪いとも思ったりして…。
中田 気持ちはわかるよ。俺もハタチくらいの時は、クールでいたいと思ってたもん。でも、だんだん素をさらけ出せるようになってきた。翔太は確かに、自分にシールドを張ってるような部分があるかもしれないけど、それはそれで今の等身大のあり方なんだからいいと思うよ。変わっていくタイミングは自然に来る。たくさん失敗して、たくさんカッコいいことして、ナウを生きていこうぜ。
井上 中田さんはほんとカッコいいこと言う。仕事もプライベートも、ナウを生きたいですね、ピュアな気持ちで。魂燃やしていきます!
中田 アツいね。あー、まだまだ飲み足りない!
NAKATA’s comment
初の夜ロケは想像以上に楽しくて、仕上がりもいい感じ。そして、翔太がこんなにアツい部分があるヤツだってことも初めて知った。それを見せてくれたことが嬉しかった反面、ちょっとびっくりもした(笑)。
#中田圭佑##井上翔太#
中田撮 第6回 井上 翔太
第6回のゲストは後輩の井上翔太。撮影は、井上が通っていた文化服装学院がある新宿西口エリアで。ファッションの趣味が合う二人は元から仲良しだったけど、「中田撮」初となるほろ酔いトークでは、知られざる翔太の“アツさ”に中田も驚き!21歳の等身大を生きる彼の、ナウな魅力を激写した。
「とにかく早く 東京に出て来たかった」
中田 何年目だっけ?今。
井上 3年目です。メンズノンノモデルになる前に、今の事務所には入っていて。きっかけはスカウトだったんですけど。
中田 そうなんだ!知らなかった。
井上 もともと俳優になりたいという思いはあったんですが、それを高校の三者面談で言ったら、「まだ何も決まってないからとりあえず学校に行って欲しい」と親に言われて。それで服が好きだったので文化服装学院に進みました。とにかくすぐにでも東京に行きたくて、学校が始まる前の3月に上京。表参道で歩いていたら声をかけてもらって、これはもうやるしかないなと。
中田 けっこう思い切った選択したね!最近の仕事はどう?
井上 今はとにかく俳優の仕事を頑張っていきたいです。なんか今年は調子がいい気がしてます。感覚ですけど。自分が日常で考えていること、経験したことを、役としてアウトプットしていくのが楽しいですね。
「マジな熱量がある人って カッコいいと思うんです」
中田 俺と翔太はフィーリングが似てるよね。何をカッコいいと思うかとか。
井上 そうですね。映画なんか観てると、スケーターとか、不良とかマフィアとか、反骨精神を持っている人をカッコいいと思っちゃうところとか。
中田 わかる。でもさ、俺らって根は真面目じゃん?(笑) だから不良にはなりきれなくて、でも彼らが持ってるカルチャーや、好きなものに対するマジの熱量をすごくカッコいいと思うよね。
井上 それでありながら、自分自身の人生としてはもっとおしゃれに生きたいんですよね。
中田 そう。本物の不良からしたら俺らは中途半端なやつなのかもしれないけど、そこに俺らなりの美学があるよね。彼らの文化をファッションや自分の表現に取り入れながら、モデルや俳優の仕事を頑張るっていう。
井上 自分の仕事に関しては俺らも真剣に向き合ってますもん。マジさは同じ。
「メラメラしすぎて 眠れへんのです」
井上 最近、仕事に対する熱量が高まりすぎて常にメラメラしてるんです。興奮しちゃって、夜も眠れない。
中田 いいね、それが今の翔太なんだよ。 井上 今の環境にはすごく感謝してるんです。俳優の仕事ができて、メンズノンノにも出させてもらって、事務所も応援してくれてる。そうやって生きているから幸せだけど、満足はしてない。だからもっと、ぶちかましていきたいと思ってるっす。
中田 自分の今のマックスを出せたら、どんな経験でも最高だよ。
井上 あとは本当に自分次第だと思ってます。口では何とでも言えるけど、どう行動するか。今年はちゃんと、結果を出していきたいです。
「魂で生きなアカンって思ってるんで!」
井上 ちょっと自分は尖り過ぎてるんですかね…。自分のカッコ悪い部分を人に知られるのがすごく嫌で、でもそれを気にし過ぎているのが逆にカッコ悪いとも思ったりして…。
中田 気持ちはわかるよ。俺もハタチくらいの時は、クールでいたいと思ってたもん。でも、だんだん素をさらけ出せるようになってきた。翔太は確かに、自分にシールドを張ってるような部分があるかもしれないけど、それはそれで今の等身大のあり方なんだからいいと思うよ。変わっていくタイミングは自然に来る。たくさん失敗して、たくさんカッコいいことして、ナウを生きていこうぜ。
井上 中田さんはほんとカッコいいこと言う。仕事もプライベートも、ナウを生きたいですね、ピュアな気持ちで。魂燃やしていきます!
中田 アツいね。あー、まだまだ飲み足りない!
NAKATA’s comment
初の夜ロケは想像以上に楽しくて、仕上がりもいい感じ。そして、翔太がこんなにアツい部分があるヤツだってことも初めて知った。それを見せてくれたことが嬉しかった反面、ちょっとびっくりもした(笑)。
#中田圭佑##井上翔太#
ぜんぶ君のせいだ。の"異常こそ正常だ。"【第2回】
ぜんぶ君のせいだ。「異常こそ正常だ。」の御時間です。僕の名前はましろ。白色に白髪。
小さい背丈で背伸びを続け、生まれてこの方いつ何時も人生を「歌うこと」を軸に選択を続けていたら、此処に行きつき、グループや患いちゃん(応援してくれる方)との「未来を魅せる約束」に意固地になり、気がつけばグループと共に五年目を生きる。そんな、しがないメンバーです。
あとは......そうですね、「無題合唱」という楽曲の落ちサビを歌っているメンバーです。これ、あまり僕らを知らない方にもたまに伝わります。
グループ結成時、僕は敬愛する社長に「音楽に対する意」で愛されたように思います。そしてメンバーから「歌やパフォーマンス」で愛し認めてもらい、患いさんに「全身で歌う音楽好きなましろ」として愛されていると、僭越ですが自負しています。
然しながら、Skream!コラムとなれば、音楽を様々な形で愛する皆様がお読みです。女性グループというのは、いや、現代では歌い踊るグループ......もはやそうで無くとも、男性であれど楽器を持てど、アーティストというのは「偶像」と表されることが多い時代かと思います。
そこに表立って立たされるのは、時代が変わってきた今でなお「女性グループ」「歌い踊るグループ」が目立ちますね。
回りくどい物言いをやめると、僕らのようなグループは知らぬ人に「アイドル」と言われ、そして自称音楽を愛す方は今でも言うのです「所詮アイドル」「音楽の真似事」「どうせ音楽など知らない」「アーティストになどなれない」と。......んんん、言い過ぎました。
でも。そうですよね、分かるんです。僕はもともとバンドをやっていました。アイドルを嫌いだと口にしたこともあります。その上で僕が今回話したい言葉はこれです。
「音楽なんて嫌いだ」。
異常でしょうか?本当に、そうでしょうか。
音楽に「救われた」という表現が蔓延を続けるなか、僕は幼い頃にロックバンドという音楽に出会いこう思いました。「生きていく方法を見つけた」と。当時の僕は、家族の言うことを聞き、学校でも人気者になり、その反動で登校拒否を始め、家族と全く言葉を交わさない引きこもり生活をしていました。そういった人生の僕は「こう言えば喜んでもらえる」という言葉しか使うことができなくて、「自分の意思を言葉にする」という方法を持っていませんでした。
結果、中身だけが荒み、到底言葉にできないような性悪な部分だけが根に溜まり、我儘を言えど愛される人間たちを恨み辛み......。そんな時に出会ったロックバンド。「話す」以外の自己表現を知った子供の僕は、これが「音楽」だと認識するのです。
ところがどっこい。音楽というのは言葉一つでありながら、その認識の意は一辺倒ではありませんでした。「自分のための音楽」「大切な人のための音楽」そして「世に向けた音楽」。はたまた「音という技術」という術もありますね、これ以上はキリがありません。
技術もなく音楽の端の端くれにいる僕ながらに音楽と向き合い、これに関しては答えなど割と意味がない、必要ない、と僕は思いました。なんだっていいよ、どれも辿れば全て音楽だ。
でも。でも、それでも僕はひとつだけ、音楽が音楽であることを判断したい基準を、ひとつだけ持つようになりました。
「そこに、自分の強いつよい意思はあるか?」
音楽を無意識に続けることはあまりないと思いますよね。選ばないとできないものです。だけどそれって実はどの勉学も仕事も同じなんです。だからこそ実は、できてもしまうのです。強い意思がなくとも音を奏でることは。
それでも音であり音楽です。その音を奏でる方も好きな方も否定する気はさらさらありません。それでも僕は執着していたい。「強い意思」があるからできる音楽に。
だから「音楽」というものを浅はかな上部で判断できてしまうものだとすれば、僕は音楽なんて嫌いです。糞食らえです。やめてしまえ。心地いい音楽を機械が作りAIだけが偶像として音を鳴らしていろ。
だから僕は忘れたくないのです。たとえ規模が大きくなり音を使わぬ仕事をしても、届ける相手が増えても、歌えなくなる夜を超えても、「歌うことでしか自己を知れなかった自分」が今も音楽に執着する強い意思を。そうで無い音楽を許さない自分を。これが音楽であるという希望を。
異常ですよね。それって、どっちが?
ぜんぶ君のせいだ。「異常こそ正常だ。」の御時間です。僕の名前はましろ。白色に白髪。
小さい背丈で背伸びを続け、生まれてこの方いつ何時も人生を「歌うこと」を軸に選択を続けていたら、此処に行きつき、グループや患いちゃん(応援してくれる方)との「未来を魅せる約束」に意固地になり、気がつけばグループと共に五年目を生きる。そんな、しがないメンバーです。
あとは......そうですね、「無題合唱」という楽曲の落ちサビを歌っているメンバーです。これ、あまり僕らを知らない方にもたまに伝わります。
グループ結成時、僕は敬愛する社長に「音楽に対する意」で愛されたように思います。そしてメンバーから「歌やパフォーマンス」で愛し認めてもらい、患いさんに「全身で歌う音楽好きなましろ」として愛されていると、僭越ですが自負しています。
然しながら、Skream!コラムとなれば、音楽を様々な形で愛する皆様がお読みです。女性グループというのは、いや、現代では歌い踊るグループ......もはやそうで無くとも、男性であれど楽器を持てど、アーティストというのは「偶像」と表されることが多い時代かと思います。
そこに表立って立たされるのは、時代が変わってきた今でなお「女性グループ」「歌い踊るグループ」が目立ちますね。
回りくどい物言いをやめると、僕らのようなグループは知らぬ人に「アイドル」と言われ、そして自称音楽を愛す方は今でも言うのです「所詮アイドル」「音楽の真似事」「どうせ音楽など知らない」「アーティストになどなれない」と。......んんん、言い過ぎました。
でも。そうですよね、分かるんです。僕はもともとバンドをやっていました。アイドルを嫌いだと口にしたこともあります。その上で僕が今回話したい言葉はこれです。
「音楽なんて嫌いだ」。
異常でしょうか?本当に、そうでしょうか。
音楽に「救われた」という表現が蔓延を続けるなか、僕は幼い頃にロックバンドという音楽に出会いこう思いました。「生きていく方法を見つけた」と。当時の僕は、家族の言うことを聞き、学校でも人気者になり、その反動で登校拒否を始め、家族と全く言葉を交わさない引きこもり生活をしていました。そういった人生の僕は「こう言えば喜んでもらえる」という言葉しか使うことができなくて、「自分の意思を言葉にする」という方法を持っていませんでした。
結果、中身だけが荒み、到底言葉にできないような性悪な部分だけが根に溜まり、我儘を言えど愛される人間たちを恨み辛み......。そんな時に出会ったロックバンド。「話す」以外の自己表現を知った子供の僕は、これが「音楽」だと認識するのです。
ところがどっこい。音楽というのは言葉一つでありながら、その認識の意は一辺倒ではありませんでした。「自分のための音楽」「大切な人のための音楽」そして「世に向けた音楽」。はたまた「音という技術」という術もありますね、これ以上はキリがありません。
技術もなく音楽の端の端くれにいる僕ながらに音楽と向き合い、これに関しては答えなど割と意味がない、必要ない、と僕は思いました。なんだっていいよ、どれも辿れば全て音楽だ。
でも。でも、それでも僕はひとつだけ、音楽が音楽であることを判断したい基準を、ひとつだけ持つようになりました。
「そこに、自分の強いつよい意思はあるか?」
音楽を無意識に続けることはあまりないと思いますよね。選ばないとできないものです。だけどそれって実はどの勉学も仕事も同じなんです。だからこそ実は、できてもしまうのです。強い意思がなくとも音を奏でることは。
それでも音であり音楽です。その音を奏でる方も好きな方も否定する気はさらさらありません。それでも僕は執着していたい。「強い意思」があるからできる音楽に。
だから「音楽」というものを浅はかな上部で判断できてしまうものだとすれば、僕は音楽なんて嫌いです。糞食らえです。やめてしまえ。心地いい音楽を機械が作りAIだけが偶像として音を鳴らしていろ。
だから僕は忘れたくないのです。たとえ規模が大きくなり音を使わぬ仕事をしても、届ける相手が増えても、歌えなくなる夜を超えても、「歌うことでしか自己を知れなかった自分」が今も音楽に執着する強い意思を。そうで無い音楽を許さない自分を。これが音楽であるという希望を。
異常ですよね。それって、どっちが?
突然想着去翻以前的研究生论文
很多人以为我本科就可以拿来得瑟 其实本科真的过得不开心 最珍惜的反而是研究生的日子
清苦而快乐 单纯因为知识和好奇心得到满足的快乐
真的 那种看到一篇好论文像发现一块宝石的感觉 我很怀念
弗兰克奈特依然是我最喜欢的经济学家 以至于国际贸易课和老师讨论的时候都喜欢搬出他来怼老师 每次一说起“フランクナイトが曰く” 老师就会说:“出た、フランクナイトだ” 然后中国同学和日本同学都被逗笑了 我还是觉得很开心
翻着以前的读书笔记和论文草稿 笔记 slides 真的是 人生的高光时刻 那么纯粹地做着一件事情的感觉 现在很少了 现在更多时候是想着怎么分配时间给各种各样的事情
《风险、不确定性和利润》这本书,包括中文版的两个译本 昭和老头翻译的艰涩难懂的日文版 原版英文版 每版都被我翻烂了 然后要懂不确定性 还得去学点概率的哲学基础 还得去懂制度经济学 去看哈耶克 还得去看管理会计里面之前是怎么谈过制度经济学的 为了让老师开心还得把老师的理论也拉进来 整个论文写了一年 十万字 比我们学校的博士论文基本字数还多
老师让我留下来读博 说我要退休了 如果你想去其他帝大 我给你推荐 虽然最后还是因为家人回到了家乡
会遗憾么 不知道 但是读博需要的牺牲 我已经再也给不起了
还是很怀念和老师讨论各种概念的时候 谢谢大下老师给过的肯定 谢谢西村老师说的那句やっぱり優秀だね 私が考えているのと同じだwwww
他们可能不明白为什么我要这么拼 为了证明吧 本科时身边的人都在说着金融有多好多赚钱多利国利民的时候 从小在工厂长大的我 从没这么认为
たぶん先生たちのその馬鹿まじめさが 僕を救ってくれたんだ
いま思い出しても 感謝の気持ちがいっぱいです
日本に留学することは 私にとって人生初めて自分が決めた重大な選択 三年ほどかかって 気が付いたら同級生たちがほとんど立派な社会人になった それでも私には悔いはない
很多人以为我本科就可以拿来得瑟 其实本科真的过得不开心 最珍惜的反而是研究生的日子
清苦而快乐 单纯因为知识和好奇心得到满足的快乐
真的 那种看到一篇好论文像发现一块宝石的感觉 我很怀念
弗兰克奈特依然是我最喜欢的经济学家 以至于国际贸易课和老师讨论的时候都喜欢搬出他来怼老师 每次一说起“フランクナイトが曰く” 老师就会说:“出た、フランクナイトだ” 然后中国同学和日本同学都被逗笑了 我还是觉得很开心
翻着以前的读书笔记和论文草稿 笔记 slides 真的是 人生的高光时刻 那么纯粹地做着一件事情的感觉 现在很少了 现在更多时候是想着怎么分配时间给各种各样的事情
《风险、不确定性和利润》这本书,包括中文版的两个译本 昭和老头翻译的艰涩难懂的日文版 原版英文版 每版都被我翻烂了 然后要懂不确定性 还得去学点概率的哲学基础 还得去懂制度经济学 去看哈耶克 还得去看管理会计里面之前是怎么谈过制度经济学的 为了让老师开心还得把老师的理论也拉进来 整个论文写了一年 十万字 比我们学校的博士论文基本字数还多
老师让我留下来读博 说我要退休了 如果你想去其他帝大 我给你推荐 虽然最后还是因为家人回到了家乡
会遗憾么 不知道 但是读博需要的牺牲 我已经再也给不起了
还是很怀念和老师讨论各种概念的时候 谢谢大下老师给过的肯定 谢谢西村老师说的那句やっぱり優秀だね 私が考えているのと同じだwwww
他们可能不明白为什么我要这么拼 为了证明吧 本科时身边的人都在说着金融有多好多赚钱多利国利民的时候 从小在工厂长大的我 从没这么认为
たぶん先生たちのその馬鹿まじめさが 僕を救ってくれたんだ
いま思い出しても 感謝の気持ちがいっぱいです
日本に留学することは 私にとって人生初めて自分が決めた重大な選択 三年ほどかかって 気が付いたら同級生たちがほとんど立派な社会人になった それでも私には悔いはない
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