妈妈的味道
おふくろの味
蓝天,白云,青山,绿水,葡萄园,农家乐。这是我老家的一幅素描。
青い空、白い雲、緑の山、澄んだ水、ブドウ畑に農家レストラン。これが私の故郷の描写だ。
已将近两个月没回老家看望父母,听老妈在电话里唠叨:“俺这里天天有城里人来玩儿,俺和你爸在家里鼓捣农家菜,生意还蛮好。要不,你们抽空回来看看?”
すでに二カ月近く実家の両親に会いに帰っておらず、母が電話で「ここには毎日都会から人が遊びに来ているから、父さんと私は家で田舎料理を振舞っていて、すごくはやっているんだよ。お前たちも時間を作って見に来ないかい?」とくどくど言うのを聞いていた。
我的语气有些心疼和埋怨:“这么一把年纪了,莫折腾,身体要紧。钱是赚不完的,没病没灾最重要。”
私の口ぶりには心配と恨みがこもっていたに違いない。「もういい年なんだから、無理しないで、体を休めたら? お金はいくら稼いでも限りがないし、無病息災が何よりだよ」と言った。
国庆节,我们一家三口回了趟老家。我慢慢有一种感觉,随着年龄的增长,也就越来越眷念父母。
国慶節にわれわれ一家3人は帰省した。私は年をとるにつれ、両親を慕う気持ちが募っていくのを感じ始めていた。
透过车窗,远远地就看见老家院子里停了好几辆小轿车。
車の窓ガラスを通して、遠くの実家の敷地に何台もの乗用車が止まっているのが見えた。
下了车,只见老家的堂屋里热闹得很,摆了四个大方桌,有八人一桌的,也有十人一桌的。还有堂屋最里面的那一桌,呼啦啦有十三四个人,长板凳坐不下了,有的人干脆就站着吃饭。
車を降りると、実家の母屋の中がとても賑やかで、4つの大きな四角いテーブルが置かれ、一卓に8人、一卓に10人が座っているのが見えた。さらに最も奥にあるテーブルには、ぎっしりと13、4人がひしめいていて、長椅子に座りきれずに、立って食べている人すらいた。
老妈在厨房里大显身手,忙得不亦乐乎;老爸在堂屋里端茶递水,笑容顺着皱纹爬满黝黑的脸。
母さんは台所で腕を振るっており、てんてこまいで立ち働いていた。父さんはお茶を運んだり、水を渡したりしていて、笑顔がしわとともに浅黒い顔いっぱいに広がっていた。
堂屋里的四桌食客,以为我们一家三口也是来吃饭的客人,有个高个子自豪地说:“你们来迟了,这家有规定,每餐只接待四桌,你们去找别家吧。”
母屋にいた4つのテーブルのお客さんは、われわれ一家3人が食事に来た客だと思い、背の高い男が自慢げに、「遅かったね。この家には一回の食事に4テーブル分の客しかとらないという決まりがあるんだ。別の家を探しにいきなよ」と言った。
我领着老婆和儿子向爸妈打了招呼,爸妈也没时间和我们闲聊,一脸兴奋,继续忙着生意。
私は妻と息子を連れて両親にあいさつをしに行ったが、両親はおしゃべりしている時間すらなく、興奮を顔に浮かべ、忙しそうに仕事を続けた。
等客人走得差不多了,老妈激动地告诉我:“今天又赚了四百多块,这个月少说也有一万出头。”
客がほぼ去ったとき、母は興奮した様子で私に言った。「今日もまた400元以上稼いだわ。今月は少なくとも1万元はいったわね」
我和老婆也跟着激动起来:“看看这大好形势,如果请个大厨和几个帮手,扩大规模,弄个十桌八桌的,那每天不是赚得更多吗?”
私と妻もそれに続いて興奮してきて、「こりゃ、いい調子だね。もしコックと数人の助手を雇って規模を拡大し、8テーブルや10テーブルにしたら、毎日もっとたくさん稼げるんじゃないの?」と言った。
老妈淡定地回着:“这可不行,每餐只能开四桌,这是规矩。俺也不想请人帮工,俺必须亲自掌厨。”
母さんは落ち着いて「それはダメよ。毎回4テーブルだけ。これは決まりなの。誰かに手伝ってもらいたいとも思わない。自分でつくらなきゃ」と答えた。
老爸倾向于我和老婆的想法:“咱还是试试吧,雇几个人帮忙,咱自个儿也轻松一些。”
父さんは私と妻の考えに傾いたらしく、「やってみてもいいんじゃないか、何人か雇って手伝ってもらえば、俺たちも楽になる」と言った。
老妈还是保留“每餐四桌”和“亲自掌厨”的意见。
母さんはやはり「毎回4テーブルのみ」と「自ら作る」という意見を変えなかった。
老爸联合我和老婆,不顾老妈的坚决反对,还是请了大厨和帮手,餐桌也翻了三倍,几间正房全部派上了用场。只是让老妈失了业。
父さんは私と妻の側につき、母の絶対反対を顧みず、コックと手伝いを雇おう、テーブルも3倍に増やし、母屋の数部屋全部を使おう。ただ母さんは失業させることになるね、ということになった。
#你有过回光返照式的感情吗##空瓶记##盲盒#
第一天,生意好,十二桌,餐餐座无虚席。老妈呆在一边,一天没说一句话。
一日目、商売は順調で、毎食12テーブルが埋まった。母さんは傍らに立ち尽くし、一日中、一言も口をきかなかった。
第二天,奇了怪,中午只有一桌客人,晚餐一个人也没有,客人们都上别家排队去了。
二日目、不思議なことに昼にテーブル1つ分の客しかなく、夜には1人も来ず、客はみな別の家で並んでいた。
老妈气呼呼地吵闹着:“你们不听俺的意见,一门心思就想赚大钱,不管客人们想吃啥味道。俺是想多赚点钱,可俺有赚钱的原则。这回可好,一分钱都没赚到,还要倒贴大厨和帮工的工钱。”
母さんは怒り狂って騒いだ。「私の意見も聞かず、ただ金儲けだけを狙って、お客さんがどんな味を求めているかも考えないなんて。私もお金はたくさん稼ぎたいけど、私にはお金を稼ぐための原則っていうものがあるの。ほら見てみなさい、お金はまったく稼げないのに、コックと助手の手当ては払わなきゃいけない」
第三天,一个客人也没有。老爸急了,我和老婆也急了。老妈看起来一点也不急,似乎还有些幸灾乐祸。
三日目、1人の客も来ず、父さんは焦り、私と妻も焦った。母はまったく焦る様子はなく、他人の不幸を喜んでいるかのようだった。
第四天,老妈不动声色地辞了大厨和帮工,撤掉了多余的桌椅,只留下了堂屋里的四大桌,又亲自走进了厨房。
四日目、母は顔色一つ変えずにコックと助手に首を言い渡し、余分なテーブルと椅子を片付け、母屋の中に4つの大テーブルだけ残して、再び自ら台所に入っていった。
说来也怪,老妈重新上岗的那天,堂屋里的四大桌,又恢复了往日的光景,餐餐爆满,预定电话接二连三。
不思議なことに、母さんが戻った日、母屋の4つの大テーブルにかつての光景がよみがえり、毎食満員御礼で、予約の電話も相次いだ。
国庆节最后一天,正当我们一家三口准备打道回府的时候,几个常来吃饭的年轻老板,专车送给老妈一块匾牌,还坚持要老妈亲自扯下蒙在匾牌上的红色丝绸,瞬间,五个金色的大字光彩夺目:妈妈的味道。
国慶節の最後の1日、われわれ一家3人が帰宅する準備をしている時、いつもご飯を食べに来ていた数人の若い社長たちが、わざわざ母さんに額をプレゼントしに来た。さらに母さん自身にこの額にかけられた赤いシルクをめくらせたが、その瞬間、「おふくろの味」というまばゆい金文字が目を奪った。
当我陪同那几个年轻老板吃饭时,我用心地品味着老妈的饭菜,这让我回想起了儿时的那种滋味。我猛然醒悟:其实,妈妈坚守的就是那种原始的味道。
私がその若い社長たちに付き添って食事をした時、慎重に母の作った食事を味わうと、子供の頃に食べたあの味が記憶によみがえった。私はその時、母さんが守っていたのは、この昔のまんまの味なのだと、はたと悟ったのだ。
おふくろの味
蓝天,白云,青山,绿水,葡萄园,农家乐。这是我老家的一幅素描。
青い空、白い雲、緑の山、澄んだ水、ブドウ畑に農家レストラン。これが私の故郷の描写だ。
已将近两个月没回老家看望父母,听老妈在电话里唠叨:“俺这里天天有城里人来玩儿,俺和你爸在家里鼓捣农家菜,生意还蛮好。要不,你们抽空回来看看?”
すでに二カ月近く実家の両親に会いに帰っておらず、母が電話で「ここには毎日都会から人が遊びに来ているから、父さんと私は家で田舎料理を振舞っていて、すごくはやっているんだよ。お前たちも時間を作って見に来ないかい?」とくどくど言うのを聞いていた。
我的语气有些心疼和埋怨:“这么一把年纪了,莫折腾,身体要紧。钱是赚不完的,没病没灾最重要。”
私の口ぶりには心配と恨みがこもっていたに違いない。「もういい年なんだから、無理しないで、体を休めたら? お金はいくら稼いでも限りがないし、無病息災が何よりだよ」と言った。
国庆节,我们一家三口回了趟老家。我慢慢有一种感觉,随着年龄的增长,也就越来越眷念父母。
国慶節にわれわれ一家3人は帰省した。私は年をとるにつれ、両親を慕う気持ちが募っていくのを感じ始めていた。
透过车窗,远远地就看见老家院子里停了好几辆小轿车。
車の窓ガラスを通して、遠くの実家の敷地に何台もの乗用車が止まっているのが見えた。
下了车,只见老家的堂屋里热闹得很,摆了四个大方桌,有八人一桌的,也有十人一桌的。还有堂屋最里面的那一桌,呼啦啦有十三四个人,长板凳坐不下了,有的人干脆就站着吃饭。
車を降りると、実家の母屋の中がとても賑やかで、4つの大きな四角いテーブルが置かれ、一卓に8人、一卓に10人が座っているのが見えた。さらに最も奥にあるテーブルには、ぎっしりと13、4人がひしめいていて、長椅子に座りきれずに、立って食べている人すらいた。
老妈在厨房里大显身手,忙得不亦乐乎;老爸在堂屋里端茶递水,笑容顺着皱纹爬满黝黑的脸。
母さんは台所で腕を振るっており、てんてこまいで立ち働いていた。父さんはお茶を運んだり、水を渡したりしていて、笑顔がしわとともに浅黒い顔いっぱいに広がっていた。
堂屋里的四桌食客,以为我们一家三口也是来吃饭的客人,有个高个子自豪地说:“你们来迟了,这家有规定,每餐只接待四桌,你们去找别家吧。”
母屋にいた4つのテーブルのお客さんは、われわれ一家3人が食事に来た客だと思い、背の高い男が自慢げに、「遅かったね。この家には一回の食事に4テーブル分の客しかとらないという決まりがあるんだ。別の家を探しにいきなよ」と言った。
我领着老婆和儿子向爸妈打了招呼,爸妈也没时间和我们闲聊,一脸兴奋,继续忙着生意。
私は妻と息子を連れて両親にあいさつをしに行ったが、両親はおしゃべりしている時間すらなく、興奮を顔に浮かべ、忙しそうに仕事を続けた。
等客人走得差不多了,老妈激动地告诉我:“今天又赚了四百多块,这个月少说也有一万出头。”
客がほぼ去ったとき、母は興奮した様子で私に言った。「今日もまた400元以上稼いだわ。今月は少なくとも1万元はいったわね」
我和老婆也跟着激动起来:“看看这大好形势,如果请个大厨和几个帮手,扩大规模,弄个十桌八桌的,那每天不是赚得更多吗?”
私と妻もそれに続いて興奮してきて、「こりゃ、いい調子だね。もしコックと数人の助手を雇って規模を拡大し、8テーブルや10テーブルにしたら、毎日もっとたくさん稼げるんじゃないの?」と言った。
老妈淡定地回着:“这可不行,每餐只能开四桌,这是规矩。俺也不想请人帮工,俺必须亲自掌厨。”
母さんは落ち着いて「それはダメよ。毎回4テーブルだけ。これは決まりなの。誰かに手伝ってもらいたいとも思わない。自分でつくらなきゃ」と答えた。
老爸倾向于我和老婆的想法:“咱还是试试吧,雇几个人帮忙,咱自个儿也轻松一些。”
父さんは私と妻の考えに傾いたらしく、「やってみてもいいんじゃないか、何人か雇って手伝ってもらえば、俺たちも楽になる」と言った。
老妈还是保留“每餐四桌”和“亲自掌厨”的意见。
母さんはやはり「毎回4テーブルのみ」と「自ら作る」という意見を変えなかった。
老爸联合我和老婆,不顾老妈的坚决反对,还是请了大厨和帮手,餐桌也翻了三倍,几间正房全部派上了用场。只是让老妈失了业。
父さんは私と妻の側につき、母の絶対反対を顧みず、コックと手伝いを雇おう、テーブルも3倍に増やし、母屋の数部屋全部を使おう。ただ母さんは失業させることになるね、ということになった。
#你有过回光返照式的感情吗##空瓶记##盲盒#
第一天,生意好,十二桌,餐餐座无虚席。老妈呆在一边,一天没说一句话。
一日目、商売は順調で、毎食12テーブルが埋まった。母さんは傍らに立ち尽くし、一日中、一言も口をきかなかった。
第二天,奇了怪,中午只有一桌客人,晚餐一个人也没有,客人们都上别家排队去了。
二日目、不思議なことに昼にテーブル1つ分の客しかなく、夜には1人も来ず、客はみな別の家で並んでいた。
老妈气呼呼地吵闹着:“你们不听俺的意见,一门心思就想赚大钱,不管客人们想吃啥味道。俺是想多赚点钱,可俺有赚钱的原则。这回可好,一分钱都没赚到,还要倒贴大厨和帮工的工钱。”
母さんは怒り狂って騒いだ。「私の意見も聞かず、ただ金儲けだけを狙って、お客さんがどんな味を求めているかも考えないなんて。私もお金はたくさん稼ぎたいけど、私にはお金を稼ぐための原則っていうものがあるの。ほら見てみなさい、お金はまったく稼げないのに、コックと助手の手当ては払わなきゃいけない」
第三天,一个客人也没有。老爸急了,我和老婆也急了。老妈看起来一点也不急,似乎还有些幸灾乐祸。
三日目、1人の客も来ず、父さんは焦り、私と妻も焦った。母はまったく焦る様子はなく、他人の不幸を喜んでいるかのようだった。
第四天,老妈不动声色地辞了大厨和帮工,撤掉了多余的桌椅,只留下了堂屋里的四大桌,又亲自走进了厨房。
四日目、母は顔色一つ変えずにコックと助手に首を言い渡し、余分なテーブルと椅子を片付け、母屋の中に4つの大テーブルだけ残して、再び自ら台所に入っていった。
说来也怪,老妈重新上岗的那天,堂屋里的四大桌,又恢复了往日的光景,餐餐爆满,预定电话接二连三。
不思議なことに、母さんが戻った日、母屋の4つの大テーブルにかつての光景がよみがえり、毎食満員御礼で、予約の電話も相次いだ。
国庆节最后一天,正当我们一家三口准备打道回府的时候,几个常来吃饭的年轻老板,专车送给老妈一块匾牌,还坚持要老妈亲自扯下蒙在匾牌上的红色丝绸,瞬间,五个金色的大字光彩夺目:妈妈的味道。
国慶節の最後の1日、われわれ一家3人が帰宅する準備をしている時、いつもご飯を食べに来ていた数人の若い社長たちが、わざわざ母さんに額をプレゼントしに来た。さらに母さん自身にこの額にかけられた赤いシルクをめくらせたが、その瞬間、「おふくろの味」というまばゆい金文字が目を奪った。
当我陪同那几个年轻老板吃饭时,我用心地品味着老妈的饭菜,这让我回想起了儿时的那种滋味。我猛然醒悟:其实,妈妈坚守的就是那种原始的味道。
私がその若い社長たちに付き添って食事をした時、慎重に母の作った食事を味わうと、子供の頃に食べたあの味が記憶によみがえった。私はその時、母さんが守っていたのは、この昔のまんまの味なのだと、はたと悟ったのだ。
#山根绮# 夏、なぜか人生の岐路になりがち|山根綺のほんとのところ。#8
夏は、人生の岐路になりがちです。
学生は一年で初めての長期休みになり、
自分に約40日間、自由な時間が与えられる夏休み。
マジ最っ高〜!ハピネス!!と思った初日の夜、
寝て起きた瞬間に最終日を迎えています。
宿題はギリギリまで後回しだし、
気付いたら昼夜逆転してるし、
8月31日の夜に頭を抱える度、
自分という人間を良くも悪くも自覚させられてきました。
私の夏休みといえばそう、高3の夏。
人生最大に病み散らかしていたリトル山根は
壁に穴を開けたり、2週間自室に引きこもったり、
まぁ色々ありました。(笑)
この時期があったからこそ
声優の道へ舵を切れたのですが、
あれから8年、25歳の夏になっても
相変わらず将来のことやら自分のことやらを考えまくる日々。
令和はいろいろ難しいっぴ。。
でも最近は何だかんだそんな自分を受け入れています。
いつか、「あ〜もうなんか悩む自分に疲れた!やーめっぴ!」って、勝手にやめる時が来るのを知っているからです。
なんだかそうやって生きて変わり続けてきたんですよね。
そこを経て、自分のことを少しずつ労わり認めていくフェーズに入っていく。
だから好きなだけ悩めば良いのかもしれません。
人が変わる瞬間って不思議で
その時が来たら、身体が勝手に動いているから。
■深夜の1人反省会をやめたい
私ね、深夜の1人反省会をやめたい。
さっきまでの悩むだけ悩もうぜ!メンタルはどこに行ったんだという感じですが、
「今日のあの言葉は良くなかったかもな」
「あれは言わなければよかったな」
「あの反応して嫌な奴だと思われてないかな」
夜ふかししているときは必ずこんなことが
ぐるぐるぐるぐる、頭の中で回り続けます。
過ぎたことは気にしない!
遠くでそう言う小山根もいるのですが、
大山根の頭にはなかなか響きません。
深夜のパワー、すごい。
〇〇さんは凄いな、それに比べて私は…と
周りの人の素敵なところと自分のダメなところを比べてしまう癖、いつになったらやめられるのかなぁ。
そんなことを悶々と考えていた時、
あるお仕事帰りの電車で、事務所の先輩の上田瞳さんが
山根ちゃんはそう思えるからたくさん成長しているんだよ、凄いねって言ってくださったんです。
なんてあたたかい方なのでしょうか。
そんな風に、何事もプラスに考えられるようになったら
深夜に刻々と繰り広げられる一人反省会が
ワシ、今日もお疲れさま会に変わるのかもしれません。
私は本当に周りの人に恵まれたなぁ…と改めて思いました。
かっこいい先輩に、私もなりたいな。
■助演女優賞
結局私は、誰かに必要とされたいんですよね。
お金とか地位とか名誉ではなくて
ただここにいても良いっていう理由が
生きていても良いんだっていう理由が、
自分の中で欲しいだけなのかもしれません。
人って自分のために頑張るより、何かの、誰かのためにやる方が頑張れるじゃないですか。
そんなエゴにも似た気持ちには不思議とえぐみが無いから
もしかしたらこれが、愛というものなのでは?なんて思ったりします。
愛って見返りを求めない自己犠牲だと思っているので
私の身勝手なエゴの延長線上だったとしても
大切な人達、大好きな人達をただ幸せに出来たら
それだけでいいのかもなぁって。
今ちょっと照れくさいこと言いました。はずかしい。
人生はマラソンだとよく耳にしますが、
私にとって人生は、一人一人が主役の舞台です。
全員が主人公で、毎日スポットライトを浴びながら生きているのです。
だからわたしね、
皆の人生という舞台で、助演女優賞をとりたい。
幕が下りる瞬間まで、あなたの心のどこかに私がいて
山根を見つけられて幸せだったな、楽しかったなって思ってほしい。
この先もきっといろんなことが起こるけど、
良い時も悪い時も
ただそこに、わたしがいたらいいな。
夏は、人生の岐路になりがちです。
学生は一年で初めての長期休みになり、
自分に約40日間、自由な時間が与えられる夏休み。
マジ最っ高〜!ハピネス!!と思った初日の夜、
寝て起きた瞬間に最終日を迎えています。
宿題はギリギリまで後回しだし、
気付いたら昼夜逆転してるし、
8月31日の夜に頭を抱える度、
自分という人間を良くも悪くも自覚させられてきました。
私の夏休みといえばそう、高3の夏。
人生最大に病み散らかしていたリトル山根は
壁に穴を開けたり、2週間自室に引きこもったり、
まぁ色々ありました。(笑)
この時期があったからこそ
声優の道へ舵を切れたのですが、
あれから8年、25歳の夏になっても
相変わらず将来のことやら自分のことやらを考えまくる日々。
令和はいろいろ難しいっぴ。。
でも最近は何だかんだそんな自分を受け入れています。
いつか、「あ〜もうなんか悩む自分に疲れた!やーめっぴ!」って、勝手にやめる時が来るのを知っているからです。
なんだかそうやって生きて変わり続けてきたんですよね。
そこを経て、自分のことを少しずつ労わり認めていくフェーズに入っていく。
だから好きなだけ悩めば良いのかもしれません。
人が変わる瞬間って不思議で
その時が来たら、身体が勝手に動いているから。
■深夜の1人反省会をやめたい
私ね、深夜の1人反省会をやめたい。
さっきまでの悩むだけ悩もうぜ!メンタルはどこに行ったんだという感じですが、
「今日のあの言葉は良くなかったかもな」
「あれは言わなければよかったな」
「あの反応して嫌な奴だと思われてないかな」
夜ふかししているときは必ずこんなことが
ぐるぐるぐるぐる、頭の中で回り続けます。
過ぎたことは気にしない!
遠くでそう言う小山根もいるのですが、
大山根の頭にはなかなか響きません。
深夜のパワー、すごい。
〇〇さんは凄いな、それに比べて私は…と
周りの人の素敵なところと自分のダメなところを比べてしまう癖、いつになったらやめられるのかなぁ。
そんなことを悶々と考えていた時、
あるお仕事帰りの電車で、事務所の先輩の上田瞳さんが
山根ちゃんはそう思えるからたくさん成長しているんだよ、凄いねって言ってくださったんです。
なんてあたたかい方なのでしょうか。
そんな風に、何事もプラスに考えられるようになったら
深夜に刻々と繰り広げられる一人反省会が
ワシ、今日もお疲れさま会に変わるのかもしれません。
私は本当に周りの人に恵まれたなぁ…と改めて思いました。
かっこいい先輩に、私もなりたいな。
■助演女優賞
結局私は、誰かに必要とされたいんですよね。
お金とか地位とか名誉ではなくて
ただここにいても良いっていう理由が
生きていても良いんだっていう理由が、
自分の中で欲しいだけなのかもしれません。
人って自分のために頑張るより、何かの、誰かのためにやる方が頑張れるじゃないですか。
そんなエゴにも似た気持ちには不思議とえぐみが無いから
もしかしたらこれが、愛というものなのでは?なんて思ったりします。
愛って見返りを求めない自己犠牲だと思っているので
私の身勝手なエゴの延長線上だったとしても
大切な人達、大好きな人達をただ幸せに出来たら
それだけでいいのかもなぁって。
今ちょっと照れくさいこと言いました。はずかしい。
人生はマラソンだとよく耳にしますが、
私にとって人生は、一人一人が主役の舞台です。
全員が主人公で、毎日スポットライトを浴びながら生きているのです。
だからわたしね、
皆の人生という舞台で、助演女優賞をとりたい。
幕が下りる瞬間まで、あなたの心のどこかに私がいて
山根を見つけられて幸せだったな、楽しかったなって思ってほしい。
この先もきっといろんなことが起こるけど、
良い時も悪い時も
ただそこに、わたしがいたらいいな。
堂本剛、「平安神宮 奉納演奏 2022」を開催!「自分らしく、優しく強く生きて」とメッセージ!
https://t.cn/A6SOFFPL
堂本剛が2日から3日間にわたり、京都・平安神宮にて「平安神宮 奉納演奏 2022」を開催し、約1万5千人の観客が会場を訪れた。
2010年の初公演より、今年で12回目の開催となる同演奏は、堂本がその年々の時代背景の「今」に寄り添ったテーマを掲げ、想いと願いを込めて奏でる特別なステージ。今年のテーマは、止まりすぎても走りすぎても時代に振り落とされてしまう、今のコロナ禍を映した「ネガティブポジティブ」。堂本は、このネガティブポジティブな日常の真ん中に立ち、純真無垢な心で愛を込めた演奏を奉納した。
シンガーソングライターとして、今年活動20周年を迎えた堂本。4日に行われた同ステージでは、20周年にふさわしいソロデビュー曲「街」から楽曲をスタート。続いて、人々の心がすれ違い、傷つけ合うことへの悲しみを綴った「LOVE VS. LOVE」を、最新の特殊照明「BEAMTWISTER(ビームツイスター)」を使用した演出とともに歌い上げ会場を魅了。さらに、平安神宮2022Ver.のアレンジを施した「Rain of Rainbow」、ピアノ演奏とともに披露した「太陽が遠い」へと楽曲を続けた。
途中、大粒の雨が降り出す中、堂本は最新曲のダンスナンバー「1111111 ~One Another's Colors~」や「勃」、未発表曲の愛のバラード(※タイトル未定)など全11曲を披露。平安神宮の夜空に、光や炎、噴水などの高雅な演出と音楽を奏で、観客を幻想的な世界へと導いた。
最後のトークタイムでは、堂本は「リストを聞いていただきました皆さま、本当にありがとうございます」と深く感謝。「今からここにいらっしゃる皆様と奉納参拝をさせていただければと思います」と語ると、両手を合わせ、ファンと共に参拝を行った。
また、堂本は「さまざまな困難がありますが、目に映る景色だけではなく、心の目で今のこの時代を映しながら、毎日を自分らしく、人にも自分にも優しく強く生きていってください。僕自身も大きな愛を持って、皆さんと一緒にそうして生きていきます」と熱くメッセージ。
「今日は足を運んでくださったこと、感謝を申し上げます。たくさんの愛をありがとうございました」と話すと、会場から大きな拍手が巻き起こった。
《小宮山あきの》
https://t.cn/A6SOFFPL
堂本剛が2日から3日間にわたり、京都・平安神宮にて「平安神宮 奉納演奏 2022」を開催し、約1万5千人の観客が会場を訪れた。
2010年の初公演より、今年で12回目の開催となる同演奏は、堂本がその年々の時代背景の「今」に寄り添ったテーマを掲げ、想いと願いを込めて奏でる特別なステージ。今年のテーマは、止まりすぎても走りすぎても時代に振り落とされてしまう、今のコロナ禍を映した「ネガティブポジティブ」。堂本は、このネガティブポジティブな日常の真ん中に立ち、純真無垢な心で愛を込めた演奏を奉納した。
シンガーソングライターとして、今年活動20周年を迎えた堂本。4日に行われた同ステージでは、20周年にふさわしいソロデビュー曲「街」から楽曲をスタート。続いて、人々の心がすれ違い、傷つけ合うことへの悲しみを綴った「LOVE VS. LOVE」を、最新の特殊照明「BEAMTWISTER(ビームツイスター)」を使用した演出とともに歌い上げ会場を魅了。さらに、平安神宮2022Ver.のアレンジを施した「Rain of Rainbow」、ピアノ演奏とともに披露した「太陽が遠い」へと楽曲を続けた。
途中、大粒の雨が降り出す中、堂本は最新曲のダンスナンバー「1111111 ~One Another's Colors~」や「勃」、未発表曲の愛のバラード(※タイトル未定)など全11曲を披露。平安神宮の夜空に、光や炎、噴水などの高雅な演出と音楽を奏で、観客を幻想的な世界へと導いた。
最後のトークタイムでは、堂本は「リストを聞いていただきました皆さま、本当にありがとうございます」と深く感謝。「今からここにいらっしゃる皆様と奉納参拝をさせていただければと思います」と語ると、両手を合わせ、ファンと共に参拝を行った。
また、堂本は「さまざまな困難がありますが、目に映る景色だけではなく、心の目で今のこの時代を映しながら、毎日を自分らしく、人にも自分にも優しく強く生きていってください。僕自身も大きな愛を持って、皆さんと一緒にそうして生きていきます」と熱くメッセージ。
「今日は足を運んでくださったこと、感謝を申し上げます。たくさんの愛をありがとうございました」と話すと、会場から大きな拍手が巻き起こった。
《小宮山あきの》
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