[MORA自购][Hi-Res][201201]松任谷由実 39thアルバム「深海の街」[96kHz/24bit][FLAC][全12曲]
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あなたと 私と 〈刀剣乱舞-ON LINE-新主題歌〉
Good! Morning 〈テレビ朝日 「グッド!モーニング」テーマ曲〉
深海の街 〈テレビ東京系「WBS(ワールドビジネスサテライト)」エンディングテーマ曲〉
知らないどうし 〈TBS金曜ドラマ「恋する母たち」主題歌〉
雪の道しるべ 〈ハウス食品 北海道シチューCMソング〉
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町工場生まれ、7億個売れた ガンプラ、40年一貫して静岡生産https://t.cn/A6GYnL8k
アニメ「機動戦士ガンダム」のプラモデル「ガンプラ」が今年で発売40周年を迎えた。累計7億個が売れたヒット商品を生んだのは静岡の町工場だ。当初はアニメの人気も低かったが、成功の基盤を作ったのは地元の熱意と努力だった。
バンダイの子会社だった「バンダイ模型」がガンプラを発売したのは1980年7月。前年4月に始まったアニメ放映は静かな人気を呼んだが、視聴率は低迷し、打ち切られていた。
■時流読み商品化
一方、アニメの放映中から、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のバンダイ模型には、「ガンダムの商品を出して」との投書が相次いだ。これに技術部の松本悟さん(72)が目を付けた。
高校を出て、「サンダーバード」や「鉄人28号」の模型を手がけた地元企業「今井科学」に入ったが、69年に倒産。工場を買い取ったバンダイに移り、70年代にヒットした「宇宙戦艦ヤマト」の後継を探していた。ガンダムは玩具市場で「はずれ」とされていたが、「ストーリーや設定がすごい」「リアリティーがある」といった投書は増え続けていた。
静岡で放送されていなかったため、番組を東京で録画。雑誌で情報を集めた。「紫電改のタカ」など60年代の戦記ブームが一段落し、70年代は「スター・ウォーズ」などのSFがヒット。「時流に乗っている。いける」と直感した。
79年12月、バンダイ模型は、アニメ制作会社などから模型化の権利を取得。「戦車や飛行機を意識して設計した」と話すのは、同じく今井科学の元社員だった村松正敏さん(73)だ。物語の「ミリタリー要素」を表現したかった。人型兵器の「モビルスーツ」は正義や悪のロボットではなく、人間が開発した工業製品として描かれた。「平面に見える部分も、弾丸をはじく緩やかな曲面にした」と解説する。
それまでのキャラクター商品は「触って遊ぶ」おもちゃが多かった。これに対し、ガンプラでは戦闘や整備の場面を再現し「飾って眺める」要素が重視された。
■下請けも急成長
再放送や映画化を経てガンプラは大ブームに。生産が追いつかず、金型の製作やプラスチック成形を行う下請け企業が不可欠だった。「成形機の隣で寝る生活が10年くらい続いた」。地元の成形業者「興津プラスチック」の元社長の男性(76)はこう語る。樹脂を金型に流し込み、模型のパーツが枠でつながった「ランナー」を生産した。
欠損やひび割れが出ないよう、金型の形や気象条件に合わせて温度や圧力を調整した。ガンダムの頭のアンテナは「角が細いから、プラスチックを入れるのが下手だと短くなる」。家族と交代で成形機を24時間動かした。ランナー1枚で取り分は4~6円だったが、数年後には借家から工場兼自宅に移り、成形機は7台に増えた。
■内職1日数万袋
75年から40年以上、今も模型の袋詰めの内職をする深沢幸子さん(73)もガンプラで家を建てた。ランナーを袋に入れ、封をする。1袋で当時は1円30銭~40銭だった。
工場から箱詰めのランナーが届くと、近隣の女性らが取りに来る。最盛期には約30人を取りまとめ、1日に3万~5万袋を分担した。東京出身。両親の反対を押し切って結婚し、20歳で清水に来た。生活が苦しい中、紹介されたのが袋詰めだった。機械化が進み、内職は減ったが、仕事で知人が増え、手がけた商品は世界中で楽しまれている。
「ガンプラがあったから幸せな生活を送れた。あと5年は続けたい」(矢吹孝文)
■「なんだこれは」驚くような製品 「機動戦士ガンダム」総監督・富野由悠季さん(79)
――ガンプラをどう思っていますか。
「ガンダムは商売になる」と見抜いたバンダイは賢かった。「紙風船1枚作ってナンボ」の世界からやってきて、「爪に火をともす」ことを知っている堅実な町工場だった。
――「今井科学」の元技術者が関わりました。
「なんだこれは」と驚くような製品ができた。後に、今井科学から移った社員たちが頑張ったと知った。今井科学の連中がいなければ、バンダイはガンプラを作れなかっただろう。
ガンプラには気にくわない部分がある。人の形になりすぎている。もっと機械として考えてほしいとも思う。
――40周年をどう感じていますか。
戦後経済の中で、ガンプラがこれだけの地位を占めたことに多少なりとも関与できたことは、僕のプライドになっている。一方で、「悔しいな」とも思っている。もう少し著作権や銭に汚い部分があったら、いい思いができたんじゃないかと(笑)。(聞き手・矢吹孝文)
◆キーワード
<ガンプラ> 当初から一貫して静岡の工場で生産され、今年5月まで累計約7億個を売り上げた。約半数が海外に出荷される。模型専門誌「月刊ホビージャパン」の木村学編集長は「現在の模型市場の半分以上を占めているのでは」としている。
アニメ「機動戦士ガンダム」のプラモデル「ガンプラ」が今年で発売40周年を迎えた。累計7億個が売れたヒット商品を生んだのは静岡の町工場だ。当初はアニメの人気も低かったが、成功の基盤を作ったのは地元の熱意と努力だった。
バンダイの子会社だった「バンダイ模型」がガンプラを発売したのは1980年7月。前年4月に始まったアニメ放映は静かな人気を呼んだが、視聴率は低迷し、打ち切られていた。
■時流読み商品化
一方、アニメの放映中から、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のバンダイ模型には、「ガンダムの商品を出して」との投書が相次いだ。これに技術部の松本悟さん(72)が目を付けた。
高校を出て、「サンダーバード」や「鉄人28号」の模型を手がけた地元企業「今井科学」に入ったが、69年に倒産。工場を買い取ったバンダイに移り、70年代にヒットした「宇宙戦艦ヤマト」の後継を探していた。ガンダムは玩具市場で「はずれ」とされていたが、「ストーリーや設定がすごい」「リアリティーがある」といった投書は増え続けていた。
静岡で放送されていなかったため、番組を東京で録画。雑誌で情報を集めた。「紫電改のタカ」など60年代の戦記ブームが一段落し、70年代は「スター・ウォーズ」などのSFがヒット。「時流に乗っている。いける」と直感した。
79年12月、バンダイ模型は、アニメ制作会社などから模型化の権利を取得。「戦車や飛行機を意識して設計した」と話すのは、同じく今井科学の元社員だった村松正敏さん(73)だ。物語の「ミリタリー要素」を表現したかった。人型兵器の「モビルスーツ」は正義や悪のロボットではなく、人間が開発した工業製品として描かれた。「平面に見える部分も、弾丸をはじく緩やかな曲面にした」と解説する。
それまでのキャラクター商品は「触って遊ぶ」おもちゃが多かった。これに対し、ガンプラでは戦闘や整備の場面を再現し「飾って眺める」要素が重視された。
■下請けも急成長
再放送や映画化を経てガンプラは大ブームに。生産が追いつかず、金型の製作やプラスチック成形を行う下請け企業が不可欠だった。「成形機の隣で寝る生活が10年くらい続いた」。地元の成形業者「興津プラスチック」の元社長の男性(76)はこう語る。樹脂を金型に流し込み、模型のパーツが枠でつながった「ランナー」を生産した。
欠損やひび割れが出ないよう、金型の形や気象条件に合わせて温度や圧力を調整した。ガンダムの頭のアンテナは「角が細いから、プラスチックを入れるのが下手だと短くなる」。家族と交代で成形機を24時間動かした。ランナー1枚で取り分は4~6円だったが、数年後には借家から工場兼自宅に移り、成形機は7台に増えた。
■内職1日数万袋
75年から40年以上、今も模型の袋詰めの内職をする深沢幸子さん(73)もガンプラで家を建てた。ランナーを袋に入れ、封をする。1袋で当時は1円30銭~40銭だった。
工場から箱詰めのランナーが届くと、近隣の女性らが取りに来る。最盛期には約30人を取りまとめ、1日に3万~5万袋を分担した。東京出身。両親の反対を押し切って結婚し、20歳で清水に来た。生活が苦しい中、紹介されたのが袋詰めだった。機械化が進み、内職は減ったが、仕事で知人が増え、手がけた商品は世界中で楽しまれている。
「ガンプラがあったから幸せな生活を送れた。あと5年は続けたい」(矢吹孝文)
■「なんだこれは」驚くような製品 「機動戦士ガンダム」総監督・富野由悠季さん(79)
――ガンプラをどう思っていますか。
「ガンダムは商売になる」と見抜いたバンダイは賢かった。「紙風船1枚作ってナンボ」の世界からやってきて、「爪に火をともす」ことを知っている堅実な町工場だった。
――「今井科学」の元技術者が関わりました。
「なんだこれは」と驚くような製品ができた。後に、今井科学から移った社員たちが頑張ったと知った。今井科学の連中がいなければ、バンダイはガンプラを作れなかっただろう。
ガンプラには気にくわない部分がある。人の形になりすぎている。もっと機械として考えてほしいとも思う。
――40周年をどう感じていますか。
戦後経済の中で、ガンプラがこれだけの地位を占めたことに多少なりとも関与できたことは、僕のプライドになっている。一方で、「悔しいな」とも思っている。もう少し著作権や銭に汚い部分があったら、いい思いができたんじゃないかと(笑)。(聞き手・矢吹孝文)
◆キーワード
<ガンプラ> 当初から一貫して静岡の工場で生産され、今年5月まで累計約7億個を売り上げた。約半数が海外に出荷される。模型専門誌「月刊ホビージャパン」の木村学編集長は「現在の模型市場の半分以上を占めているのでは」としている。
【Digital Single】〖2020/10/28〗大黒摩季 - WE ARE THE LOVE ~ dedicated to J & L ~
10月7日(水) 埼玉県の越谷サンシティホールから有観客での全国ライブ・ツアー「MAKI OHGURO 2020 PHOENIX TOUR 〜待たせた分だけ100倍返しーっっ!!!」をスタートさせたばかりの大黒摩季が、3月から数えて8ヶ月連続配信となる新曲「WE ARE THE LOVE ~dedicated to J & L~」を10月28日(水) に配信リリース。
今回の作品は、現在制作中のアルバム・ジャケットの写真撮影をLeslie Keeに依頼する中、彼が9月に同性婚として渋谷区でパートナーシップ証明書を取得したことを知った大黒が、Leslie Keeとパートナー Joshua Ogg (サブ・タイトルの“J & L”は彼らのイニシャルに由来) の出会い~これまでのストーリーを受け止め、彼らの想い出Photo Bookを見つめるうちに同曲のメロディーが溢れ、二人へのWeddingプレゼントとして作られた楽曲となっています。
作曲は大黒摩季。サウンド・プロデュースは近年の大黒作品を多く制作し最早、大黒サウンドの要となっているYoheyが手掛け、作詞はLeslie Kee & Joshua Oggが大切にしてきたという言葉たちを綴り、二人で歌えるようにとデュエットソングとしてアレンジされました。
ボーカリストは全編英語詞という新たな挑戦ということもあり、日本語・英語・ポルトガル語・スペイン語の4か国語を使い分け、連続配信シングルの6作目「 Dee Dee Dee Dee Deeper Love 〜 恋のソーシャルディスタンス 〜 feat.當間ローズ 」でデュエットした當間ローズを再び起用。
ミュージシャン勢もゴージャス!で、5月に配信した「OK」のサウンド・プロデュースを手掛け、Leslie Keeの結婚パーティでも音楽監督を務める武部聡志がピアノを担当。その一音一音に愛情と祝福が込められ、あらゆるセンテンスが耳に残る名フレーズが折りなされた、まるで映画音楽をピアノだけで表現しているかのような描写は感動的だ。ストリングスには日本において数多くのヒットメーカー作品に名を連ねる金原千恵子が率いる繊細かつ秀逸なセクション。ゴスペルコーラスには、大黒がビーイングコーラス時代の直属の師匠と敬信する坪倉唯子を中心に、ツアーメンバーでもある濱田”Peco”美和子、原田由佳、「OK」のゴスペル隊でも甘く太い低音を担った土居康宏(Dody)。周囲から “ お祝い番長 ”と呼ばれる大黒らしい華やかで豪華なWedding プレゼントとなっています。
こうして大黒の作品としては初?!ともいえるPureな愛のみが溢れる、極上ラブ・バラードが生まれました。そして、11月に予定されている二人の結婚パーティで初生披露される予定となっています。
配信ジャケットも大黒たっての希望によりLeslie Keeが撮影し自らデザインした、大黒摩季と當間ローズの写真だけでなく、Leslie KeeとJoshua Oggの写真とのコラボレーションとなっており、正に結婚した二人の初めての共同作業、記念すべき手作り作品となっています。
また、Leslie Keeは、この楽曲をモチーフに11月18日(水)から12月6日(日)まで、渋谷マルイのギャラリーにおいて「We are the love」と銘打った写真展を開催。想い溢れ、膨大な量の写真が撮られた大黒のアルバム・ジャケット撮影作品の中からも多く出展されるということで、Leslie Keeワールドに染められ生み出された新しい大黒摩季も続々登場! 本人曰く、「 綺麗なポーズってなんて苦しいの?!モデルさんてこんなに筋肉痛になるのね!改めてリスペクト・・・。」という程に、様々なポージングにTryし50th/50tryの一つ、グラビア&モデルに挑戦!をクリアしました。
大黒摩季はこの後、日本中にEnergyを運ぶPHOENIXとなって今週末17日(土) 仙台の東京エレクトロンホール宮城、18日(日)福島・とうほうみんなの文化センターにてライブを開催、12月18日(金)パシフィコ横浜まで有観客での全国ツアーを実施します。
新型コロナウィルスによって誰もが忘れてしまいたいこの2020年が、大黒摩季にとってはむしろ忘れられない輝かしい出会いや思い出多く、人生で最大量の毎月作品リリースをしたり、自宅からの生配信に挑戦したりと、これまで以上に新しいことへとタフに活動した「 人生で一番自分が好きになれた最高の年 」。もともと逆境に強いアーティストながら、ここまでくると強さを超越した撓(しな)やかさも感じ取れ眩しく見える。このコロナ禍で誰より前進し輝き今も尚、前のめりに飛翔を続ける大黒摩季が次にまた何を生み出し、何に向かうのか、ご注目ください。
10月7日(水) 埼玉県の越谷サンシティホールから有観客での全国ライブ・ツアー「MAKI OHGURO 2020 PHOENIX TOUR 〜待たせた分だけ100倍返しーっっ!!!」をスタートさせたばかりの大黒摩季が、3月から数えて8ヶ月連続配信となる新曲「WE ARE THE LOVE ~dedicated to J & L~」を10月28日(水) に配信リリース。
今回の作品は、現在制作中のアルバム・ジャケットの写真撮影をLeslie Keeに依頼する中、彼が9月に同性婚として渋谷区でパートナーシップ証明書を取得したことを知った大黒が、Leslie Keeとパートナー Joshua Ogg (サブ・タイトルの“J & L”は彼らのイニシャルに由来) の出会い~これまでのストーリーを受け止め、彼らの想い出Photo Bookを見つめるうちに同曲のメロディーが溢れ、二人へのWeddingプレゼントとして作られた楽曲となっています。
作曲は大黒摩季。サウンド・プロデュースは近年の大黒作品を多く制作し最早、大黒サウンドの要となっているYoheyが手掛け、作詞はLeslie Kee & Joshua Oggが大切にしてきたという言葉たちを綴り、二人で歌えるようにとデュエットソングとしてアレンジされました。
ボーカリストは全編英語詞という新たな挑戦ということもあり、日本語・英語・ポルトガル語・スペイン語の4か国語を使い分け、連続配信シングルの6作目「 Dee Dee Dee Dee Deeper Love 〜 恋のソーシャルディスタンス 〜 feat.當間ローズ 」でデュエットした當間ローズを再び起用。
ミュージシャン勢もゴージャス!で、5月に配信した「OK」のサウンド・プロデュースを手掛け、Leslie Keeの結婚パーティでも音楽監督を務める武部聡志がピアノを担当。その一音一音に愛情と祝福が込められ、あらゆるセンテンスが耳に残る名フレーズが折りなされた、まるで映画音楽をピアノだけで表現しているかのような描写は感動的だ。ストリングスには日本において数多くのヒットメーカー作品に名を連ねる金原千恵子が率いる繊細かつ秀逸なセクション。ゴスペルコーラスには、大黒がビーイングコーラス時代の直属の師匠と敬信する坪倉唯子を中心に、ツアーメンバーでもある濱田”Peco”美和子、原田由佳、「OK」のゴスペル隊でも甘く太い低音を担った土居康宏(Dody)。周囲から “ お祝い番長 ”と呼ばれる大黒らしい華やかで豪華なWedding プレゼントとなっています。
こうして大黒の作品としては初?!ともいえるPureな愛のみが溢れる、極上ラブ・バラードが生まれました。そして、11月に予定されている二人の結婚パーティで初生披露される予定となっています。
配信ジャケットも大黒たっての希望によりLeslie Keeが撮影し自らデザインした、大黒摩季と當間ローズの写真だけでなく、Leslie KeeとJoshua Oggの写真とのコラボレーションとなっており、正に結婚した二人の初めての共同作業、記念すべき手作り作品となっています。
また、Leslie Keeは、この楽曲をモチーフに11月18日(水)から12月6日(日)まで、渋谷マルイのギャラリーにおいて「We are the love」と銘打った写真展を開催。想い溢れ、膨大な量の写真が撮られた大黒のアルバム・ジャケット撮影作品の中からも多く出展されるということで、Leslie Keeワールドに染められ生み出された新しい大黒摩季も続々登場! 本人曰く、「 綺麗なポーズってなんて苦しいの?!モデルさんてこんなに筋肉痛になるのね!改めてリスペクト・・・。」という程に、様々なポージングにTryし50th/50tryの一つ、グラビア&モデルに挑戦!をクリアしました。
大黒摩季はこの後、日本中にEnergyを運ぶPHOENIXとなって今週末17日(土) 仙台の東京エレクトロンホール宮城、18日(日)福島・とうほうみんなの文化センターにてライブを開催、12月18日(金)パシフィコ横浜まで有観客での全国ツアーを実施します。
新型コロナウィルスによって誰もが忘れてしまいたいこの2020年が、大黒摩季にとってはむしろ忘れられない輝かしい出会いや思い出多く、人生で最大量の毎月作品リリースをしたり、自宅からの生配信に挑戦したりと、これまで以上に新しいことへとタフに活動した「 人生で一番自分が好きになれた最高の年 」。もともと逆境に強いアーティストながら、ここまでくると強さを超越した撓(しな)やかさも感じ取れ眩しく見える。このコロナ禍で誰より前進し輝き今も尚、前のめりに飛翔を続ける大黒摩季が次にまた何を生み出し、何に向かうのか、ご注目ください。
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