一个女生去信问三毛:“ 我今年廿九岁,未婚,是一家报关行最低层的办事员,常常在我下班以后,回到租来的斗室里,面对物质和精神都相当贫乏的人生,觉得活着的价值,十分……对不起,我黯淡的心情,无法用文字来表达。我很自卑,请你告诉我,生命最终的目的何在? 以我如此卑微的人(我的容貌太平凡了),工作能力也有限,说不出有什么特别的兴趣,也从来没有异性对我感兴趣。 我真羡慕你,恨不得能够活得像你,可惜我不能,请你多写书给我看,丰富我的生命,不然,真不知活着还有什么快乐? ”
不快乐的女孩: 从你短短的自我介绍中,看来十分惊心,二十九岁正当年轻,居然一连串的用了——最低层、贫乏、黯淡、自卑、平凡、卑微、能力有限这许多不正确的定义来形容自己。 以我个人的经验来说,我也反复思索过许多次,生命的意义和最终目的到底是什么,目前我的答案却只有一个,很简单的一个,那便是“寻求真正的自由”,然后享受生命。 不快乐的女孩,你的心灵并不自由,对不对?当然,我也没有做到绝对的超越,可是如你信中所写的那些字句,我已不再用在自己身上了,虽然我们比较起来是差不多的。
如果我是你,第一步要做的事是加重对自我的期许与看重,将信中那一串又一串自卑的字句从生命中一把扫除,再也不轻看自己。 你有一个正当的职业,租得起一间房间,容貌不差,懂得在上下班之余更进一步探索生命的意义,这都是很优美的事情,为何觉得自己卑微呢?你觉得卑微是因为没有用自己的主观眼在观看自己,而用了社会一般的功利主义的眼光,这是十分遗憾的。
一个不欣赏自己的人,是难以快乐的。 当然,由你的来信中,很容易想见你部分的心情,你表达的能力并不弱,由你的文字中,明明白白可以看见一个都市单身女子对于生命的无可奈何与悲哀,这种无可奈何,并不浮浅,是值得看重的。
很实际的来说,不谈空幻的方法,如果我住在你所谓的“斗室”里,如果是我,第一件会做的事情,就是布置我的房间。我会将房间粉刷成明朗的白色,给自己在窗上做上一幅美丽的窗帘,我在床头放一个普通的小收音机,在墙角做一个书架,给灯泡换一个温暖而温馨的灯罩,然后,我要去花市,仔细的挑几盆看了悦目的盆景,放在我的窗口。如果仍有余钱,我会去买几张名画的复制品——海报似的那种,将它挂在墙上……。这么弄一下,以我的估价,是不会超过四千台币的,当然除了那架收音机之外,一切自己动手做,就省去了工匠费用,而且生活会有趣得多。
房间布置得美丽,是享受生命改变心情的第一步,在我来说,它不再是斗室了。然后,当我发薪水的时候——如果我是你,我要给自己用极少的钱,去买一件美丽又实用的衣服。如果我觉得心情不够开朗,我很可能去一家美发店,花一百台币修剪一下终年不变的发型,换一个样子,给自己耳目一新的快乐。我会在又发薪水的下一个月,为自己挑几样淡色的化妆品,或者再买一双新鞋。当然,薪水仍然是每个月会领的,下班后也有四五小时的空闲,那时候,我可能去青年会报名学学语文、插花或者其他感兴趣的课程,不要有压力的每周夜间上两次课,是改换环境又充实自己的另一个方式。
你看,如果我是你,我慢慢的在变了。 我去上上课,也许可能交到一些朋友,我的小房间既然那么美丽,那么也许偶尔可以请朋友来坐坐,谈谈各自的生活和梦想。 慢慢的,我不再那么自卑了,我勇于接触善良而有品德的人群(这种人在社会上仍有许多许多),我会发觉,原来大家都很平凡——可是优美,正如自己一样。
我更会发觉,原来一个美丽的生活,并不需要太多的金钱便可以达到。我也不再计较异性对我感不感兴趣,因为我自己的生活一点一点的丰富起来,自得其乐都来不及,还想那么多吗?
如果我是你,我会不再等三毛出新书,我自己写札记,写给自己欣赏,我慢慢的会发觉,我自己写的东西也有风格和趣味,我真是一个可爱的女人。
不快乐的女孩子,请你要行动呀!不要依赖他人给你快乐。你先去将房间布置起来,勉强自己去做,会发觉事情没有你想象的那么难,而且,兴趣是可以寻求的,东试试西试试,只要心中认定喜欢的,便去培养它,成为下班之后的消遣。
可是,我仍觉得,在这个世界上,最深的快乐,是帮助他人,而不只是在自我的世界里享受——当然,享受自我的生命也是很重要的。你先将自己假想为他人,帮助自己建立起信心,下决心改变一下目前的生活方式,把自己弄得活泼起来,不要任凭生命再做赔本的流逝和伤感,起码你得试一下,尽力的去试一下,好不好? 享受生命的方法很多很多,问题是你一定要有行动,空想是不行的。下次给我写信的时候,署名快乐的女孩,将那个“不”字删掉了好吗?
你的朋友三毛上
不快乐的女孩: 从你短短的自我介绍中,看来十分惊心,二十九岁正当年轻,居然一连串的用了——最低层、贫乏、黯淡、自卑、平凡、卑微、能力有限这许多不正确的定义来形容自己。 以我个人的经验来说,我也反复思索过许多次,生命的意义和最终目的到底是什么,目前我的答案却只有一个,很简单的一个,那便是“寻求真正的自由”,然后享受生命。 不快乐的女孩,你的心灵并不自由,对不对?当然,我也没有做到绝对的超越,可是如你信中所写的那些字句,我已不再用在自己身上了,虽然我们比较起来是差不多的。
如果我是你,第一步要做的事是加重对自我的期许与看重,将信中那一串又一串自卑的字句从生命中一把扫除,再也不轻看自己。 你有一个正当的职业,租得起一间房间,容貌不差,懂得在上下班之余更进一步探索生命的意义,这都是很优美的事情,为何觉得自己卑微呢?你觉得卑微是因为没有用自己的主观眼在观看自己,而用了社会一般的功利主义的眼光,这是十分遗憾的。
一个不欣赏自己的人,是难以快乐的。 当然,由你的来信中,很容易想见你部分的心情,你表达的能力并不弱,由你的文字中,明明白白可以看见一个都市单身女子对于生命的无可奈何与悲哀,这种无可奈何,并不浮浅,是值得看重的。
很实际的来说,不谈空幻的方法,如果我住在你所谓的“斗室”里,如果是我,第一件会做的事情,就是布置我的房间。我会将房间粉刷成明朗的白色,给自己在窗上做上一幅美丽的窗帘,我在床头放一个普通的小收音机,在墙角做一个书架,给灯泡换一个温暖而温馨的灯罩,然后,我要去花市,仔细的挑几盆看了悦目的盆景,放在我的窗口。如果仍有余钱,我会去买几张名画的复制品——海报似的那种,将它挂在墙上……。这么弄一下,以我的估价,是不会超过四千台币的,当然除了那架收音机之外,一切自己动手做,就省去了工匠费用,而且生活会有趣得多。
房间布置得美丽,是享受生命改变心情的第一步,在我来说,它不再是斗室了。然后,当我发薪水的时候——如果我是你,我要给自己用极少的钱,去买一件美丽又实用的衣服。如果我觉得心情不够开朗,我很可能去一家美发店,花一百台币修剪一下终年不变的发型,换一个样子,给自己耳目一新的快乐。我会在又发薪水的下一个月,为自己挑几样淡色的化妆品,或者再买一双新鞋。当然,薪水仍然是每个月会领的,下班后也有四五小时的空闲,那时候,我可能去青年会报名学学语文、插花或者其他感兴趣的课程,不要有压力的每周夜间上两次课,是改换环境又充实自己的另一个方式。
你看,如果我是你,我慢慢的在变了。 我去上上课,也许可能交到一些朋友,我的小房间既然那么美丽,那么也许偶尔可以请朋友来坐坐,谈谈各自的生活和梦想。 慢慢的,我不再那么自卑了,我勇于接触善良而有品德的人群(这种人在社会上仍有许多许多),我会发觉,原来大家都很平凡——可是优美,正如自己一样。
我更会发觉,原来一个美丽的生活,并不需要太多的金钱便可以达到。我也不再计较异性对我感不感兴趣,因为我自己的生活一点一点的丰富起来,自得其乐都来不及,还想那么多吗?
如果我是你,我会不再等三毛出新书,我自己写札记,写给自己欣赏,我慢慢的会发觉,我自己写的东西也有风格和趣味,我真是一个可爱的女人。
不快乐的女孩子,请你要行动呀!不要依赖他人给你快乐。你先去将房间布置起来,勉强自己去做,会发觉事情没有你想象的那么难,而且,兴趣是可以寻求的,东试试西试试,只要心中认定喜欢的,便去培养它,成为下班之后的消遣。
可是,我仍觉得,在这个世界上,最深的快乐,是帮助他人,而不只是在自我的世界里享受——当然,享受自我的生命也是很重要的。你先将自己假想为他人,帮助自己建立起信心,下决心改变一下目前的生活方式,把自己弄得活泼起来,不要任凭生命再做赔本的流逝和伤感,起码你得试一下,尽力的去试一下,好不好? 享受生命的方法很多很多,问题是你一定要有行动,空想是不行的。下次给我写信的时候,署名快乐的女孩,将那个“不”字删掉了好吗?
你的朋友三毛上
ヒカルの碁
第一局 永遠のライバル
誰だ
これは最善の一手ではない最強の一手でもない
走れ 明かり 爺ちゃんちすぐそこだ
もう だからまっすぐ帰ろうって言ったのに
爺ちゃん 爺ちゃん 上がらせてもらうよ
ねえ 本当にいいの
あ どれもパッとしないなあ
光る もう 出ようよ 気味悪いよ
勝手にそんなことしていいの
この間の社会のテストで8点しか取らなくてさあ小遣い止められてんだ
おっ これなんかいいんじゃねえか
これ知ってる五目並べする台でしょう
かなり古そうだなあ
爺ちゃんが昔使ってたやつかなあ
こりゃ高値で売れるかもなあ
ねえ 本当にいいの
平気 平気
きっと爺ちゃんだって忘れてるよ それに
それにこいつだって埃取ってやりゃ
それにしても全然 落ちないぞ この汚れ
うん 汚れってなんかいないよ 綺麗じゃない
これ
どこ
ここ
あ 何もないよ どこ
ここだってば
見えるんですか
だから先からそう言って
私の声が聞こえるんですか
私の声が聞こえるんですね
やっぱりそんな跡なんて
誰だ
嫌だ 光る 変なこと言わないでよ
見つけた やっと見つけた
爺ちゃんか
出てこいよ
私 帰るよ
あまねく神よ 感謝します
私は 私は
私は今一度 現世に戻る
どうしたの 光る 光る
お爺さん 光るが大変だよ
誰だ お前は
藤原佐為
佐為 何者だ
平安の都で大君に囲碁を教えておりました
毎日 毎日 来る日も来る日も囲碁を打っていた私はとても幸せでした
しかし私以外にもう一人 大君の指南役がおりました
ある日 彼が大君には進言したんです
指南役は一人で十分 対局にて雌雄を決し
勝者のみをお召しくださいと
それで 戦ったんだろう どっちが勝ったのさ
盤面互角で対局は進み みんなの視線が注がれる中で 私だけがそれを目にしたのは 本当に偶然でした 彼の碁笥(ごけ)の中に白石が混じっていたんです
それをあの物は 一瞬の隙をついて 自分のあげはまにしたのです
ずるしたんだ
私が声を上げようとした時 そなた 今
おい 貴様 今 碁笥に混じっていたん黒石を自分のあげはまにしたなあ
な 何を言う それは今 そなたがしたことではないか
これはなんとつまらぬ言い訳を
みんなの目が盤上に注がれているのをよいことに碁笥に混じっていた私の石をあげはまにしたではないか
そなたこそいい加減な
見苦しいぞ 静まれ
そのような下卑た行為が 余の前で行われたなどと考えたくもないわ
続けるがよい
私は負けました
心の動揺を抑えきれぬままに
さかしいごまかしをしたという汚名まで付いて 都を追い出された私に 生きる術はありません
それから2日後 私は入水したのです
私はもっと 碁を打ちたかった
成仏できぬ私の魂はある碁盤に宿り 遥かな年を経って瀬戸の海に浮かぶ因島である少年の声をを聞きました
彼の名は虎次郎
少年よ 私の流した悔し涙が見えるのならば そなたの心の片隅に 私を住まわせておくれ
虎次郎の名は秀策と改められ 20歳で師の跡目となり十四世本因坊秀策を名乗ることになったのです
本因坊秀策
しかし 虎次郎は流行病に倒れ ある夜 34歳の若さにして彼は
碁盤についてた血は そいつのものだったのか それで 俺に乗り移ったのはまた碁が打ちたいってわけか
はい なぜなら 私はまだ神の一手を極めていない
光る お前昨日救急車乗ったんだって
あ あん
光る
光る 本当に大丈夫 何があったの 昨日
それがさあ 自分でもよく覚えてないんだ
起きたっら もう今日になってて
後ろの人に回してください
はい 始めてください
ほお 歴史の問題ですか
ああ お前
なんですか
あ いえ
その すみません
座って テストを続けなさい
はい
昨日のあれは 夢じゃなかったんだ
はい
で お前の名前 なんってだっけ
佐為です
佐為か お前 そんなに碁が好き
はい
まだ碁を打ちたい
はい
でもわりーな 俺 碁なんて 全然やる気ないから
光る
進藤君
何をした てめい
な 何もしてません 何も
光る 大丈夫
進藤君
進藤君 大丈夫 保健室に行く
もう平気す
碁を打てないという私の悲しみがあなたの意識を包んだだけです
ったく 千年に及ぶお前の情熱には舌を巻くぜ
でもな 俺には俺の人生設計があるんだ
なあ 俺以外のやつじゃダメなの 乗り移るのを
多分
分かったよ たまには打つだけならいいか
けど俺の心は俺の物だからな 勝手に話しかけてくるな
はい
えーと 誰だったっけな
あと十分ですよ もうできた人は間違いがないか もう一度チェックしましょうね
ダメだ 佐為 お前知ってるか 天宝の改革って
天宝の 老中の水野さまが始められた
それそれ
ああ 懐かしい 一度常住で碁を打ったことがあるんですよ
じゃ ペリーも知ってる
うん ペリー
ペリーだよ 黒船率いてやってきた
あ ペルリ提督ですね
それだ そのベルリ提督はどこに来たんだ
浦賀です あの時は大騒ぎでした
浦賀っと
佐為
はい
お前って結構使えるやつだな
進藤君 何ひとりごと言ってるの テストはもうできたの
もうちょっとです
頑張ってね
人の体を通り抜けておきながら謝りもしない なんたる無礼な
光る この時代の女性はみんな
分かった 分かった 分かったら そう頭の中で騒ぐな
終わったら 碁を打てる所へ連れてってやるから
うわあ すごい人ですね
天下の大東京だからな
そいで そいで どこで碁を打つんですか
碁会場
うん
爺ちゃんが時々行ってるらしいんだけど碁の好きなおやじたちが集まって碁を打つ場所があるんだと
いつの時代でも 囲碁を愛する人はいるのですね
あら こんにちは どうぞ
うん
わあ 爺ばっかし
あの 君 ここ初めて
ここもなんもまるっきり始めて
誰でも打てるの
打てるわよ
じゃ はい お前書いて
棋力はどれくらい
棋力 よくわからない
え 人と対局したことないんだ
そこそこ強いと思うけど
あっ 子供いるじゃん あいつと打てる
あ うん でも あの子は
対局相手を探しての
うん
いいよ 僕打つよ
ああ でもこの子
奥へ行こうか
うん
ちょっと待って 子供なら500円よ
えっ お金要るの
初めてここに来てくれたんだから
今日はサービスしてあげてよ
アキラ君がそう言うなら
僕は塔矢アキラ 君は
進藤ヒカル 六年生だ
僕も六年生だよ
やっぱり年寄りが相手じゃ盛り上がんねえもんね
棋力はどのくらい
それが よくわかんないんだ 結構強いと思うんだけど
よくわかんないのに強いの
じゃとりあえず 君の置き石は 四つか5つぐらいにしようか
置き石って ハンデのこと
要らねえよ そんなの お前と俺と同い年じゃん
塔矢アキラ相手に置き石なしだって
とんでもない坊主だ
いいよ じゃ 先手でどうぞ
俺 ちょっと打つのが遅いかもしんないけど 勘弁なあ
佐為 そんなに嬉しいのか
百四十年ぶりだもんな
光る 行きますよ
よーし
17の四 右上隅 小目
17の 一 二 三 四
思いっきり初心者の手付きだなあ
16の17 右下隅 小目
16の17 ここか
三の16
三の16
16の五
16の五
こすみ
十四の四
十四の四
石の打ち方は初心者だけど 石の筋はしっかりしている 自分でも強さと言うだけある
どうした 早く打てよ
あっ ごめん
しかし 定石の方が古い
それに 時々変なところで手が止まるのはなぜだ
ええと 十四の十一 ここか
僕も打ち込みにも動じない
いや 動じないどころか 軽やかに躱していく
その白石はあなたの物です 取りなさい
はっ これ
はい
十九の十五
いいの 取られちゃって
十八の十四
これ 取れるんだよね
はい
どうしたの
その白の九子が死んだのです
その石は のちにヒカルのあげはまになります
こんなに一杯 じゃ 楽勝じゃん
いえ この物はそれほど柔ではありません
あの九子は 私が取ったのではなく 彼が捨てたのです
よく ご覧なさい
これは
まだやれる
左上の九子は大きかったけど 僕は 中央の空間を支配している
大丈夫なの
多分
四の13
八の五
えーと 八の そこか
あ これは これは最善の一手ではない最強の一手でもない
僕がどう打てくるか試している一手だ
僕の力量を測っている
遥かな高みから
じゃ またね
ありがとうございます
あら 終わったの
うん やっぱり対局はまだ早いわ 俺
打つのすごく時間が掛かって もうヘトヘト
あらあら あっ そうそう
今度子供の囲碁大会あるんだけど はい
見に行ってみたら
考えとく 今日はありがとう お姉さん
またね
アキラ君とやるのは五十年早かったかな
え 負けた
そんなバカな
アキラ君が負けたのか
アキラ君はプロに近い実力なんだぜ
置き石だったんだろう
なんの碁置かせたって
先手の黒番で
何目差だって
二目差
二目差なら こみを入れれば アキラ君の勝ちだ
二目差とか
そんなレベルじゃない
ちょっ ちょっと待ってよ
アキラ君が負けたって 本当なの
まさか
だってあの子 今まで一度も対局したことがないって言ったのよ
一度も対局したことがない
なんなんだ 彼は一体
慣れないことしたから 疲れちゃった
ちった満足したか
はい
おーし じゃ 帰ったら会社の宿題だ
なんなりと
うん 走るぞ
はい
第一局 永遠のライバル
誰だ
これは最善の一手ではない最強の一手でもない
走れ 明かり 爺ちゃんちすぐそこだ
もう だからまっすぐ帰ろうって言ったのに
爺ちゃん 爺ちゃん 上がらせてもらうよ
ねえ 本当にいいの
あ どれもパッとしないなあ
光る もう 出ようよ 気味悪いよ
勝手にそんなことしていいの
この間の社会のテストで8点しか取らなくてさあ小遣い止められてんだ
おっ これなんかいいんじゃねえか
これ知ってる五目並べする台でしょう
かなり古そうだなあ
爺ちゃんが昔使ってたやつかなあ
こりゃ高値で売れるかもなあ
ねえ 本当にいいの
平気 平気
きっと爺ちゃんだって忘れてるよ それに
それにこいつだって埃取ってやりゃ
それにしても全然 落ちないぞ この汚れ
うん 汚れってなんかいないよ 綺麗じゃない
これ
どこ
ここ
あ 何もないよ どこ
ここだってば
見えるんですか
だから先からそう言って
私の声が聞こえるんですか
私の声が聞こえるんですね
やっぱりそんな跡なんて
誰だ
嫌だ 光る 変なこと言わないでよ
見つけた やっと見つけた
爺ちゃんか
出てこいよ
私 帰るよ
あまねく神よ 感謝します
私は 私は
私は今一度 現世に戻る
どうしたの 光る 光る
お爺さん 光るが大変だよ
誰だ お前は
藤原佐為
佐為 何者だ
平安の都で大君に囲碁を教えておりました
毎日 毎日 来る日も来る日も囲碁を打っていた私はとても幸せでした
しかし私以外にもう一人 大君の指南役がおりました
ある日 彼が大君には進言したんです
指南役は一人で十分 対局にて雌雄を決し
勝者のみをお召しくださいと
それで 戦ったんだろう どっちが勝ったのさ
盤面互角で対局は進み みんなの視線が注がれる中で 私だけがそれを目にしたのは 本当に偶然でした 彼の碁笥(ごけ)の中に白石が混じっていたんです
それをあの物は 一瞬の隙をついて 自分のあげはまにしたのです
ずるしたんだ
私が声を上げようとした時 そなた 今
おい 貴様 今 碁笥に混じっていたん黒石を自分のあげはまにしたなあ
な 何を言う それは今 そなたがしたことではないか
これはなんとつまらぬ言い訳を
みんなの目が盤上に注がれているのをよいことに碁笥に混じっていた私の石をあげはまにしたではないか
そなたこそいい加減な
見苦しいぞ 静まれ
そのような下卑た行為が 余の前で行われたなどと考えたくもないわ
続けるがよい
私は負けました
心の動揺を抑えきれぬままに
さかしいごまかしをしたという汚名まで付いて 都を追い出された私に 生きる術はありません
それから2日後 私は入水したのです
私はもっと 碁を打ちたかった
成仏できぬ私の魂はある碁盤に宿り 遥かな年を経って瀬戸の海に浮かぶ因島である少年の声をを聞きました
彼の名は虎次郎
少年よ 私の流した悔し涙が見えるのならば そなたの心の片隅に 私を住まわせておくれ
虎次郎の名は秀策と改められ 20歳で師の跡目となり十四世本因坊秀策を名乗ることになったのです
本因坊秀策
しかし 虎次郎は流行病に倒れ ある夜 34歳の若さにして彼は
碁盤についてた血は そいつのものだったのか それで 俺に乗り移ったのはまた碁が打ちたいってわけか
はい なぜなら 私はまだ神の一手を極めていない
光る お前昨日救急車乗ったんだって
あ あん
光る
光る 本当に大丈夫 何があったの 昨日
それがさあ 自分でもよく覚えてないんだ
起きたっら もう今日になってて
後ろの人に回してください
はい 始めてください
ほお 歴史の問題ですか
ああ お前
なんですか
あ いえ
その すみません
座って テストを続けなさい
はい
昨日のあれは 夢じゃなかったんだ
はい
で お前の名前 なんってだっけ
佐為です
佐為か お前 そんなに碁が好き
はい
まだ碁を打ちたい
はい
でもわりーな 俺 碁なんて 全然やる気ないから
光る
進藤君
何をした てめい
な 何もしてません 何も
光る 大丈夫
進藤君
進藤君 大丈夫 保健室に行く
もう平気す
碁を打てないという私の悲しみがあなたの意識を包んだだけです
ったく 千年に及ぶお前の情熱には舌を巻くぜ
でもな 俺には俺の人生設計があるんだ
なあ 俺以外のやつじゃダメなの 乗り移るのを
多分
分かったよ たまには打つだけならいいか
けど俺の心は俺の物だからな 勝手に話しかけてくるな
はい
えーと 誰だったっけな
あと十分ですよ もうできた人は間違いがないか もう一度チェックしましょうね
ダメだ 佐為 お前知ってるか 天宝の改革って
天宝の 老中の水野さまが始められた
それそれ
ああ 懐かしい 一度常住で碁を打ったことがあるんですよ
じゃ ペリーも知ってる
うん ペリー
ペリーだよ 黒船率いてやってきた
あ ペルリ提督ですね
それだ そのベルリ提督はどこに来たんだ
浦賀です あの時は大騒ぎでした
浦賀っと
佐為
はい
お前って結構使えるやつだな
進藤君 何ひとりごと言ってるの テストはもうできたの
もうちょっとです
頑張ってね
人の体を通り抜けておきながら謝りもしない なんたる無礼な
光る この時代の女性はみんな
分かった 分かった 分かったら そう頭の中で騒ぐな
終わったら 碁を打てる所へ連れてってやるから
うわあ すごい人ですね
天下の大東京だからな
そいで そいで どこで碁を打つんですか
碁会場
うん
爺ちゃんが時々行ってるらしいんだけど碁の好きなおやじたちが集まって碁を打つ場所があるんだと
いつの時代でも 囲碁を愛する人はいるのですね
あら こんにちは どうぞ
うん
わあ 爺ばっかし
あの 君 ここ初めて
ここもなんもまるっきり始めて
誰でも打てるの
打てるわよ
じゃ はい お前書いて
棋力はどれくらい
棋力 よくわからない
え 人と対局したことないんだ
そこそこ強いと思うけど
あっ 子供いるじゃん あいつと打てる
あ うん でも あの子は
対局相手を探しての
うん
いいよ 僕打つよ
ああ でもこの子
奥へ行こうか
うん
ちょっと待って 子供なら500円よ
えっ お金要るの
初めてここに来てくれたんだから
今日はサービスしてあげてよ
アキラ君がそう言うなら
僕は塔矢アキラ 君は
進藤ヒカル 六年生だ
僕も六年生だよ
やっぱり年寄りが相手じゃ盛り上がんねえもんね
棋力はどのくらい
それが よくわかんないんだ 結構強いと思うんだけど
よくわかんないのに強いの
じゃとりあえず 君の置き石は 四つか5つぐらいにしようか
置き石って ハンデのこと
要らねえよ そんなの お前と俺と同い年じゃん
塔矢アキラ相手に置き石なしだって
とんでもない坊主だ
いいよ じゃ 先手でどうぞ
俺 ちょっと打つのが遅いかもしんないけど 勘弁なあ
佐為 そんなに嬉しいのか
百四十年ぶりだもんな
光る 行きますよ
よーし
17の四 右上隅 小目
17の 一 二 三 四
思いっきり初心者の手付きだなあ
16の17 右下隅 小目
16の17 ここか
三の16
三の16
16の五
16の五
こすみ
十四の四
十四の四
石の打ち方は初心者だけど 石の筋はしっかりしている 自分でも強さと言うだけある
どうした 早く打てよ
あっ ごめん
しかし 定石の方が古い
それに 時々変なところで手が止まるのはなぜだ
ええと 十四の十一 ここか
僕も打ち込みにも動じない
いや 動じないどころか 軽やかに躱していく
その白石はあなたの物です 取りなさい
はっ これ
はい
十九の十五
いいの 取られちゃって
十八の十四
これ 取れるんだよね
はい
どうしたの
その白の九子が死んだのです
その石は のちにヒカルのあげはまになります
こんなに一杯 じゃ 楽勝じゃん
いえ この物はそれほど柔ではありません
あの九子は 私が取ったのではなく 彼が捨てたのです
よく ご覧なさい
これは
まだやれる
左上の九子は大きかったけど 僕は 中央の空間を支配している
大丈夫なの
多分
四の13
八の五
えーと 八の そこか
あ これは これは最善の一手ではない最強の一手でもない
僕がどう打てくるか試している一手だ
僕の力量を測っている
遥かな高みから
じゃ またね
ありがとうございます
あら 終わったの
うん やっぱり対局はまだ早いわ 俺
打つのすごく時間が掛かって もうヘトヘト
あらあら あっ そうそう
今度子供の囲碁大会あるんだけど はい
見に行ってみたら
考えとく 今日はありがとう お姉さん
またね
アキラ君とやるのは五十年早かったかな
え 負けた
そんなバカな
アキラ君が負けたのか
アキラ君はプロに近い実力なんだぜ
置き石だったんだろう
なんの碁置かせたって
先手の黒番で
何目差だって
二目差
二目差なら こみを入れれば アキラ君の勝ちだ
二目差とか
そんなレベルじゃない
ちょっ ちょっと待ってよ
アキラ君が負けたって 本当なの
まさか
だってあの子 今まで一度も対局したことがないって言ったのよ
一度も対局したことがない
なんなんだ 彼は一体
慣れないことしたから 疲れちゃった
ちった満足したか
はい
おーし じゃ 帰ったら会社の宿題だ
なんなりと
うん 走るぞ
はい
给一个不快乐女孩的回信
一个女生去信问三毛“ 我今年廿九岁,未婚,是一家报关行最低层的办事员,常常在我下班以后,回到租来的斗室里,面对物质和精神都相当贫乏的人生,觉得活着的价值,十分……。对不起,我黯淡的心情,无法用文字来表达。我很自卑,请你告诉我,生命最终的目的何在?以我如此卑微的人(我的容貌太平凡了),工作能力也有限,说不出有什么特别的兴趣,也从来没有异性对我感兴趣。我真羡慕你,恨不得能够活得像你,可惜我不能,请你多写书给我看,丰富我的生命,不然,真不知活着还有什么快乐?”
-
不快乐的女孩:
从你短短的自我介绍中,看来十分惊心,二十九岁正当年轻,居然一连串的用了——最低层、贫乏、黯淡、自卑、平凡、卑微、能力有限这许多不正确的定义来形容自己。以我个人的经验来说,我也反复思索过许多次,生命的意义和最终目的到底是什么,目前我的答案却只有一个,很简单的一个,那便是“寻求真正的自由”,然后享受生命。不快乐的女孩,你的心灵并不自由,对不对?当然,我也没有做到绝对的超越,可是如你信中所写的那些字句,我已不再用在自己身上了,虽然我们比较起来是差不多的。
如果我是你,第一步要做的事是加重对自我的期许与看重,将信中那一串又一串自卑的字句从生命中一把扫除,再也不轻看自己。你有一个正当的职业,租得起一间房间,容貌不差,懂得在上下班之余更进一步探索生命的意义,这都是很优美的事情,为何觉得自己卑微呢?你觉得卑微是因为没有用自己的主观眼在观看自己,而用了社会一般的功利主义的眼光,这是十分遗憾的。
一个不欣赏自己的人,是难以快乐的。当然,由你的来信中,很容易想见你部分的心情,你表达的能力并不弱,由你的文字中,明明白白可以看见一个都市单身女子对于生命的无可奈何与悲哀,这种无可奈何,并不浮浅,是值得看重的。
很实际的来说,不谈空幻的方法,如果我住在你所谓的“斗室”里,如果是我,第一件会做的事情,就是布置我的房间。我会将房间粉刷成明朗的白色,给自己在窗上做上一幅美丽的窗帘,我在床头放一个普通的小收音机,在墙角做一个书架,给灯泡换一个温暖而温馨的灯罩,然后,我要去花市,仔细的挑几盆看了悦目的盆景,放在我的窗口。如果仍有余钱,我会去买几张名画的复制品——海报似的那种,将它挂在墙上……。这么弄一下,以我的估价,是不会超过四千台币的,当然除了那架收音机之外,一切自己动手做,就省去了工匠费用,而且生活会有趣得多。
房间布置得美丽,是享受生命改变心情的第一步,在我来说,它不再是斗室了。然后,当我发薪水的时候——如果我是你,我要给自己用极少的钱,去买一件美丽又实用的衣服。如果我觉得心情不够开朗,我很可能去一家美发店,花一百台币修剪一下终年不变的发型,换一个样子,给自己耳目一新的快乐。我会在又发薪水的下一个月,为自己挑几样淡色的化妆品,或者再买一双新鞋。当然,薪水仍然是每个月会领的,下班后也有四五小时的空闲,那时候,我可能去青年会报名学学语文、插花或者其他感兴趣的课程,不要有压力的每周夜间上两次课,是改换环境又充实自己的另一个方式。
你看,如果我是你,我慢慢的在变了。我去上上课,也许可能交到一些朋友,我的小房间既然那么美丽,那么也许偶尔可以请朋友来坐坐,谈谈各自的生活和梦想。慢慢的,我不再那么自卑了,我勇于接触善良而有品德的人群(这种人在社会上仍有许多许多),我会发觉,原来大家都很平凡——可是优美,正如自己一样。
我更会发觉,原来一个美丽的生活,并不需要太多的金钱便可以达到。我也不再计较异性对我感不感兴趣,因为我自己的生活一点一点的丰富起来,自得其乐都来不及,还想那么多吗?
如果我是你,我会不再等三毛出新书,我自己写札记,写给自己欣赏,我慢慢的会发觉,我自己写的东西也有风格和趣味,我真是一个可爱的女人。
不快乐的女孩子,请你要行动呀!不要依赖他人给你快乐。你先去将房间布置起来,勉强自己去做,会发觉事情没有你想象的那么难,而且,兴趣是可以寻求的,东试试西试试,只要心中认定喜欢的,便去培养它,成为下班之后的消遣。
可是,我仍觉得,在这个世界上,最深的快乐,是帮助他人,而不只是在自我的世界里享受——当然,享受自我的生命也是很重要的。你先将自己假想为他人,帮助自己建立起信心,下决心改变一下目前的生活方式,把自己弄得活泼起来,不要任凭生命再做赔本的流逝和伤感,起码你得试一下,尽力的去试一下,好不好?享受生命的方法很多很多,问题是你一定要有行动,空想是不行的。下次给我写信的时候,署名快乐的女孩,将那个“不”字删掉了好吗?
一个女生去信问三毛“ 我今年廿九岁,未婚,是一家报关行最低层的办事员,常常在我下班以后,回到租来的斗室里,面对物质和精神都相当贫乏的人生,觉得活着的价值,十分……。对不起,我黯淡的心情,无法用文字来表达。我很自卑,请你告诉我,生命最终的目的何在?以我如此卑微的人(我的容貌太平凡了),工作能力也有限,说不出有什么特别的兴趣,也从来没有异性对我感兴趣。我真羡慕你,恨不得能够活得像你,可惜我不能,请你多写书给我看,丰富我的生命,不然,真不知活着还有什么快乐?”
-
不快乐的女孩:
从你短短的自我介绍中,看来十分惊心,二十九岁正当年轻,居然一连串的用了——最低层、贫乏、黯淡、自卑、平凡、卑微、能力有限这许多不正确的定义来形容自己。以我个人的经验来说,我也反复思索过许多次,生命的意义和最终目的到底是什么,目前我的答案却只有一个,很简单的一个,那便是“寻求真正的自由”,然后享受生命。不快乐的女孩,你的心灵并不自由,对不对?当然,我也没有做到绝对的超越,可是如你信中所写的那些字句,我已不再用在自己身上了,虽然我们比较起来是差不多的。
如果我是你,第一步要做的事是加重对自我的期许与看重,将信中那一串又一串自卑的字句从生命中一把扫除,再也不轻看自己。你有一个正当的职业,租得起一间房间,容貌不差,懂得在上下班之余更进一步探索生命的意义,这都是很优美的事情,为何觉得自己卑微呢?你觉得卑微是因为没有用自己的主观眼在观看自己,而用了社会一般的功利主义的眼光,这是十分遗憾的。
一个不欣赏自己的人,是难以快乐的。当然,由你的来信中,很容易想见你部分的心情,你表达的能力并不弱,由你的文字中,明明白白可以看见一个都市单身女子对于生命的无可奈何与悲哀,这种无可奈何,并不浮浅,是值得看重的。
很实际的来说,不谈空幻的方法,如果我住在你所谓的“斗室”里,如果是我,第一件会做的事情,就是布置我的房间。我会将房间粉刷成明朗的白色,给自己在窗上做上一幅美丽的窗帘,我在床头放一个普通的小收音机,在墙角做一个书架,给灯泡换一个温暖而温馨的灯罩,然后,我要去花市,仔细的挑几盆看了悦目的盆景,放在我的窗口。如果仍有余钱,我会去买几张名画的复制品——海报似的那种,将它挂在墙上……。这么弄一下,以我的估价,是不会超过四千台币的,当然除了那架收音机之外,一切自己动手做,就省去了工匠费用,而且生活会有趣得多。
房间布置得美丽,是享受生命改变心情的第一步,在我来说,它不再是斗室了。然后,当我发薪水的时候——如果我是你,我要给自己用极少的钱,去买一件美丽又实用的衣服。如果我觉得心情不够开朗,我很可能去一家美发店,花一百台币修剪一下终年不变的发型,换一个样子,给自己耳目一新的快乐。我会在又发薪水的下一个月,为自己挑几样淡色的化妆品,或者再买一双新鞋。当然,薪水仍然是每个月会领的,下班后也有四五小时的空闲,那时候,我可能去青年会报名学学语文、插花或者其他感兴趣的课程,不要有压力的每周夜间上两次课,是改换环境又充实自己的另一个方式。
你看,如果我是你,我慢慢的在变了。我去上上课,也许可能交到一些朋友,我的小房间既然那么美丽,那么也许偶尔可以请朋友来坐坐,谈谈各自的生活和梦想。慢慢的,我不再那么自卑了,我勇于接触善良而有品德的人群(这种人在社会上仍有许多许多),我会发觉,原来大家都很平凡——可是优美,正如自己一样。
我更会发觉,原来一个美丽的生活,并不需要太多的金钱便可以达到。我也不再计较异性对我感不感兴趣,因为我自己的生活一点一点的丰富起来,自得其乐都来不及,还想那么多吗?
如果我是你,我会不再等三毛出新书,我自己写札记,写给自己欣赏,我慢慢的会发觉,我自己写的东西也有风格和趣味,我真是一个可爱的女人。
不快乐的女孩子,请你要行动呀!不要依赖他人给你快乐。你先去将房间布置起来,勉强自己去做,会发觉事情没有你想象的那么难,而且,兴趣是可以寻求的,东试试西试试,只要心中认定喜欢的,便去培养它,成为下班之后的消遣。
可是,我仍觉得,在这个世界上,最深的快乐,是帮助他人,而不只是在自我的世界里享受——当然,享受自我的生命也是很重要的。你先将自己假想为他人,帮助自己建立起信心,下决心改变一下目前的生活方式,把自己弄得活泼起来,不要任凭生命再做赔本的流逝和伤感,起码你得试一下,尽力的去试一下,好不好?享受生命的方法很多很多,问题是你一定要有行动,空想是不行的。下次给我写信的时候,署名快乐的女孩,将那个“不”字删掉了好吗?
✋热门推荐